中国映画『来し方行く末』(こしかたゆくすえ)。呉磊(ウー・レイ)が出演している映画なので観に行って来ました。主演は胡歌(フー・ゴー)さんと琅琊榜コンビ。
2025年4月25日(金)より公開で、上映時間は全119分。
中国語タイトルは『不虚此行』、英語は『All Ears』、2023年の東京国際映画祭では『耳をかたむけて』だったタイトル名。私は『来し方行く末』というタイトルで鑑賞したからか、なんとなくこのタイトル名が一番しっくり来る。
監督・脚本は劉伽茵(リウ・ジアイン)で2023年制作。第25回上海国際映画祭で最優秀監督賞、胡歌が最優秀男優賞を受賞。ミモザフィルムズ配給により日本で公開となった。
SNSでの評判も上々で、あとは私の好みに合うかどうかだったけれど、観に行って良かった映画。映画の空気感が印象に残り、ミニシアター映画館で観たい作品である。
映画館での予告編
予告編を観ていたら、映画『蔵のある街』ではスケートの高橋大輔選手が出演している!倉敷が舞台の映画なのね。
レオス・カラックス最新作『IT'S NOT ME イッツ・ノット・ミー』もあるんだ。アサイヤス監督の『季節はこのまま』も風景は綺麗だし面白そうだな。
タイ映画『おばあちゃんと僕の約束』の主人公役は、ドラマ「I Told Sunset about You」のビルキンだ。
葬儀と弔辞
主人公は胡歌演じる聞善(ウェン・シャン)。
聞善は脚本家を目指すも今は弔辞の代筆業をしており、いわば夢叶わずなアラフォー。
葬儀ということで映画『おくりびと』などを思い出すが、そもそも聞善が書いているのは追悼式での弔辞文なので、それほど葬儀に焦点はない。
それでも私自身が体験した葬儀を想起し、電話口で伝えた故人の人物像が短時間で盛り込まれ、うまいことまとめるなぁと思ったことなど、映画を観ながら記憶が蘇った。近々法事を控えていたこともあり、ふわっと思い浮かんだのは悪くない思い。
映画では葬儀場で晴れていても傘をさしかける場面があり、中国の葬儀ではそういう風習があるんですかね。
胡歌が家に帰ると呉磊(小尹/シャオイン)が出てきてテンションが上がる、当方、琅琊榜好き。
さてここからはネタバレもありますのでご了承を。
弔辞のひとびと
映画で聞善が弔辞を依頼されたのは5組。
まずは現在 兄妹(赵倩/ジャオ・チェン)が行き違いになっているけれど、若い頃には助け合っていた火鍋屋 万家(ワン)の三兄妹で、依頼者は二兄(扈耀之/フー・ヤオジー)。初め、亡くなったのは兄ではなく、父親の話をしているのかと思っていたよ。
火鍋屋さんの場面で、画面左に人物がいて、右側に赤々とした火鍋が並んでいたのが美しい。『琅琊榜』では火鉢が出てきていたけれど、映画では煙草場面が多く「人間煙火」とも評されていた。人間煙火は本来、俗世で煮炊きをする様を表すのだとか。そういえば『花小厨』の中国語タイトルは『人间烟火花小厨』だった。
弔辞の代金は4000元なのね。
次は田舎から父親を引き取り、大都会北京で同居していた、めちゃせっかちな息子 王(ワン)さん(黄磊/ホァン・レイ)『無名』張先生 と嫁と孫の三世代家族。
お父さんが息子と同居することになり北京のマンションへ来て、勝手に公共スペースに竹を植えたとあったけど、竹は繁殖力がハンパないからそりゃ引っこ抜かれるわと思う次第。
孫の飛飛くんリクエストで聞善と話がしたいとスケート場で会うときに、この子役 萧李臻瑱(シャオリー・ジェンジェン)はスケートがうまいなぁなんて感心していたら、『家族の名において』の賀子秋くんだった!坊主頭じゃなかったから分からなかったよ。『山河令』では幼年・温客行だったね。北京は冬季オリンピックもあったしスケートも盛んなんかな。
王家のお嫁さん(龚蓓苾/ゴン・ベイビー)『如意芳霏』柳如意、亡き舅の残した植物の世話はする一方で、聞善には「こんなに面倒とは思わなかった」とハッキリ言うあたり、中国ドラマでよく見かける教育熱心な母親だ。
日本映画だと周囲の人間関係がもっと湿度が高く潜められる気がして、この乾燥と強さの具合が中国的だよなぁと個人的には思う。竹なんですよ。
地下から高層ビルへと移転間近な会社のCEOを亡くした起業仲間の陸(ルー)さん(甘昀宸/ガン・ユンチェン)『ボーン・トゥ・フライ』牧羊人。ホントに中国の現代ドラマを見ていると、都市にはものすごい高層ビルが建ち並んでいるよね。
陸さんが亡きCEOを評した「知り合って長いと、変わった人も普通に見えるだろ?」という台詞も聞善の背中を押す。
病気である自分の弔辞を依頼して3年経過した女性の方(ファン)さん(娜仁花/ナー・レンホア)『重生之门』方太太。
方さんの家で、聞善がシャワーの栓を間違えて自分にかけてしまう場面があり、あれ、たまにやっちゃうよなぁと笑ってしまった。
方さんが過去を語る場面で地名に地図表記が出るのは、映画では珍しい気がするが位置関係が分かりやすくて好き。
単身赴任先の夫に女性の影を思わせる話を聞きながら私は「そうか、シングルマザーとなって苦労して二人のお子さんを育てたのね……」と話を先取りして想像していたら、最後に夫が舞い戻っていて「離婚しなかったんかーぃ」となっていた。人生いろいろだね。
最後に出てきたのは女性配信者 邵金穗(シャオ・ジンスイ)(齐溪/チー・シー)『熱烈』丹丹 で、配信を介してだけの関係なのが現代的。ネットでしか知らないけれど、その人にとっては確かな存在感があり、でも実像と少し異なる……というのはあるよね。
声優仲間だっただけに、突然ネットから姿を消した彼の「声」を求めていたのが印象的だった。
そして通勤時間にも都会と田舎の違いを感じる、北京で20分ならそりゃかなり近いわね。北京は広かったよなぁ、北京市は四国位の大きさだしね。
実際には弔辞の代筆業という職業はないようだが、そういう仕事は存在するのだとか。映画には聞善の書いた弔辞は出てこないものの、劉監督の脚本準備段階では用意されていたらしい。それは気になる。
主人公 聞善について
主人公が大学院卒ながら、親には脚本を書いていると報告しているのがいまひとつ腑に落ちなかったが、パンフレットのロケ地で恩師と会っていたのは名門の北京電影学院と知り、そうだったのかと納得できた。
北京電影学院卒ならば故郷の人には期待されていただろうし、その卒業生ならば活躍している人も多く、そういう差は肩身が狭いよね。
となると恩師の先生(孙淳/スン・チュン)は一流大学で立派に教鞭を取っているので「落伍者」と言っていたのがあまり解せないが、監督自身が学生に言葉をかけた実体験らしく、人それぞれ、目指したものや周囲の期待から生じる現状の差によって、そういう心境にもなるのだろうか。そして恩師が『琅琊榜弐』長林王だったことに大分経ってから気付いたよ、ビックリよ。現代姿になると分からないもんだなぁ。
聞善自身に、望みの場所へ行けていない人特有の焦りというものがあまり描かれず、どこか諦観漂っていることもあり、主人公そのものより、主人公を通して語られる周囲の人間模様が興味深かった。それにしても頑固な人が多かったね。
諦観と言えば、動物園の動物にも通じるところがあるような……。ここで聞善とリンクするのは歩く白クマなのね。ちなみに飼育員さんは杨庆生(ヤン・チンション)。
ちょうど最近、動物園を訪れ、とあるヒグマがなんとも言えない様子で壁の四隅にもたれて座っていたのを思い出していた。あのヒグマにはやるせなさが漂っていたなあ。
聞善を演じる胡歌さんがとても良いのだ。依頼した人は聞善の口コミ重視で頼んでいたみたいだったけど、接している内になんとなく話したくなる気持ちは分かる。心地良い低い温度感は胡歌さんならではの清潔感や包容力もあるのかな。
聞善は葬儀屋さん 潘聪聪(白客/バイ・コー)『三体』白沐霖 に「お前は鼠眉だが実は大物かもしれん」と評されており、鼠眉は北京語で「気弱でダメな奴」という意味なんだとか。
配信者の女性がいきなり胡歌の家を訪問して、聞善が大丈夫か?と女性を気遣っていたけれど、いやむしろ大して知らない人を家にあげる聞善の方が大丈夫?と思うような感じ。
この葬儀屋さんもイイキャラしていて、聞善に弔辞の仕事を紹介したり、ネット葬儀開業を目指しており商魂たくましい。聞善に「テンションが低いだけ」と言うのは面白かったな。
聞善を送り出してくれたのは方さん。方さんへの思いが綴られた文章が、パンフレット最後に記載されているのもニクい作り。
次は小尹について語ります。
重要なネタバレなので、未見の方はご注意を。
……なのだけれど、2025年5月14日に放映されたEテレ「中国語!ナビ」で、この映画が紹介され、胡夏さんと呉磊くん登場にニコニコしていたら、いきなり小尹のネタバレをくらい……えぇ、なんでよりによってココ紹介なの!?と頭を抱えていた。
うーん、もしかして中国の人はネタバレ避けをしない文化なのか?不知道。
小尹について
小尹がこの世の人ではない設定は、映画を観る前にどこかで聞きかじっており、映画を観ながら幽霊かなんかだったっけと思っていたら、聞善創作の登場人物でしたね。
小尹が成長したいと訴え「ずっとセーターばかり」と言った場面で、そういや出てくる時はセーターにニット帽だなとようやく気付く。でも馴染んでいてチャーミングなの。
私は『琅琊榜』で呉磊が演じていた飛流は梅長蘇の妖精さんで、ある意味分身だと思っているので(公式には琅琊榜閣主 藺晨が拾った)、今回の聞善と小尹の関係も、聞善の分身的存在なのは一致していて、観ていて楽しかった関係性。監督による小尹についての詳しい説明はパンフレットにも書かれています。
その小尹もついに白いシャツに髭も生える姿になるんだけど、なぜかオンザ眉毛な前髪でおぼこい感じなのは、まだ聞善が書き始める頃だからなのかな。
小尹で好きだったのは、自分がアイドル枠の脚本設定だと語られる場面で、意外そうに自分を指さしていたところ。
こういう映画は最後の落としどころが難しいが、聞善が小尹を主人公に書き始めた、というのが良き。
聞善がパソコンに向かって押し続けたのはBackキーよね。聞善が「yinran」と打ちこむと、予測変換に「引燃」と出たので、尹燃が小尹の名前なのかな。
この世で暮らしを営んでいた人が亡くなり、偲んで浮かびあがる人物像を描いた弔辞と、頭の中で共に暮らしていた登場人物が消えた時に、その物語を記してこの世に誕生する、と似ていながら少し異なるのが面白い描写であった。
エンドクレジットでは猫が出産していたよ。
主題歌も胡歌さんが歌ってます。
無駄ではなく意義のあること
映画終盤で、聞善が「もし書き終えられなかったら」と言うと、小尹が「たとえ一人だけでも意義がある」(意訳)と述べる場面がある。
この言葉に私はこの前に見かけたNHK「スイッチインタビュー 坂元裕二&新海誠」を思い出していた。坂元裕二さんは人気の脚本家で、現在は東京芸大・脚本の教授でもあるのですね。坂元作品で私はドラマ『最高の離婚』が好きなのだ、続編SP見たいなぁ。
そのインタビューの中で坂元さんが「引き出しにしまって読まれなかった小説も存在していると僕は思う。気持ちが生まれた時点でOK、すぐに消えてしまっても、それは世界を構成する一部で無駄なことではない(意訳)」と言うような場面があり、そういうものなのかととても印象に残っていた言葉。
この映画のタイトルも『不虚此行』で、中国語で「無駄ではなかった」という意味。日本の人気脚本家のこの発言を、聞善が聞いたらどう思うんだろう?なんて思ったり。
映像カットが美しく、北京の半地下に差し込む柔らかい薄黄色い光の空気感が、今もどこかに残っている。
配給:ミモザフィルムズ
字幕:神部明世
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