小説『天官賜福第2巻』が2023年2月15日(水)に発売となった。例によって首都圏では13日頃に店頭に並び始めたようだ。「#天官賜福」もトレンド入り。
用があったのでついでにとアニメイト池袋本店へと出かける。2023年3月16日リニューアルしてグランドオープンとあり、建物が改装され2Fまではエスカレーターが出来ている!これは便利。行った日は3Fは改装中とあり大丈夫か?と思ったが、新刊は販売されており3Fで沢山並んでました。私は通常版を2000円+税でお買いあげ。アニメイト限定セット、ステラワース限定セットもありますよ。
表紙は悦神武者に扮した太子殿下が子供を抱き上げており、華やかな表紙となっている。帯はミントブルー色で「一目で、生きる意味を知った」とニクいコピーが付いており、毎回秀逸なコピーで素晴らしい。
カバーを取ると白地にミントブルー色の文字色で、サイコロが描かれている。サイズは 128×188×24mmで432ページ。第1巻は410ページ。文字でいっぱいいっぱいと思われ挿絵はなし。第2巻は第三十九章 人面疫出土不幽林まで。
著者:墨香銅臭
装画:日出的小太陽
訳者:鄭穎馨
レーベル:ダリアシリーズユニ
発行:フロンティアワークス
各章ごとに気になったことと、最後に感想をつらつらと書いています。先んじてのネタばれはありませんが、読み進めた分までのネタばれはありますのでご注意を。
各章感想 第十六章
早速読み始めるととっさに場面を思い出せず、おまけに出てきた包帯少年が落ちてきた子供かと混乱して、「これって2巻よね?」と思わず表紙を確認してしまった。アニメの話は頭に入っているが、第1巻後半は三郎のサイコロの場面と、あと風師ともうひとりいたなという印象なのだ。第2巻を読む前に最後の方くらいは読み直しておけば良かったとは思ったが、待てないので読み進める。
天界と鬼界の建物の違いが面白い。金箔で作る宮殿ってハイソな遊びね。1人で住む場所は家とは呼ばない……えっそうなの?
謝憐の「気が向いた時に泊まりにくればいい」に花城の「兄さん言ったね」は、藍忘機の「言ったな」を思い出す。「他人に押さえつけられるよりは自分で掌握しておいた方がいい」と言うのが花城なのね。疫病の根源の白衣禍世は君吾が排除していた。
武器庫に喜ぶ太子殿下。武器に目がない様子で、何事にも穏やかな分、高揚する殿下は珍しく感じる。物腰が柔らかいから忘れがちだけど、殿下は武神だったわね。
第十七章
悪名高い湾刀厄命が殿下に撫でられて喜ぶ猫(小犬とはあるが)のようになるのが面白い。魏無羨と異なり、動物には好かれる質の謝憐のようだ。あの少年は永安人なので郎蛍と名付けられた。小蛍ちゃん……。永安国の国姓は郎。
美女は風師青玄か!その風師に極楽坊での謝憐と血雨探花とのサイコロでのやり取りを「どんな新しい遊び方なんだ?」とツッコまれているが、単なるイチャイチャですよ。一人の西方武神は貶謫(へんたく)されていた。下弦月使の正体はいかに?
第十八章
火龍嘯天で助けを求めていたのは地師の明儀で、10年 鬼使となり間者であったが、半月関で花城に正体がバレてしまっていた。謝憐が落ちたのは花城の上~~~。謝憐が芳心国師だったの??しかも芳心国師は郎千秋の手で殺されていた。
第十九章
芳心国師は白銀の仮面を被っており太刀筋から殿下と見抜いた郎千秋。今の謝憐は「二度と剣で人を殺めたりしない」という誓いを立てている。風師が太子殿下を弁護してくれるのは心強い。
第二十章
太子殿下な芳心国師がかつて郎千秋に言っていた「力を出せば誰かが必ずそれを受け止めなければならないのです」はこの世の真理。お腹を空かせた人の問いに対する「最初から口出しするべきではない」がツラいな。君吾と花城の足音の描写も面白い。なんだかんだと言いつつ慕情が殿下に薬を届けにくる所が、慕情らしいね。
第二十一章
太子殿下を意図せず傷つけてしまった湾刀厄命が、震えて泣きじゃくっている様子なのが健気なんですけど~。
第二十二章
「あなたが俺に会いたくなったら、(サイコロの)どの目を出しても会えるよ」とサラッとおっしゃる花城さん。
殿下に剣「芳心(美しい心)」を投げつけるあたり、江澄の陳情笛みがある郎千秋~。
郎千秋との決闘は若邪を用いての不意打ち戦法、さすが800年生きてきた武神はしたたかだ。
青鬼戚容を追っている状況で、太子殿下が花城の手をつかむ様子もよきよき。地面に跪く太子像がわざわざ作られているという……悪趣味ね。思いもかけず似ていた青鬼戚容と仙楽太子!
第二十三章
永安国の鎏金宴の殺戮は、仙楽人が主導し安楽王が皆殺しにしていた。青鬼戚容は太子殿下を太子従兄(にいさま)呼び!? 青鬼戚容は反応するほど興奮する性質。太子殿下は天山雪蓮花の如く神聖で純潔……。
国王が仙楽人を殺すと聞いて、王を殺した芳心国師。太子殿下は間違ったことを見過ごせず、余計なことをして人に損をさせ、どちらからも褒められない……。花城は「あなたは間違っていない」と言ってくれる。
第二十四章
青鬼戚容は殺せず逃げ足が早いとは厄介ね。
「誰かを完璧だと過剰に思うと、親しくなる内に思っていたような人ではないと失望することになる」と言う謝憐に対して、花城は「一部の人にとっては、誰かがこの世に存在すること自体が希望なんだ」と答える。
戚容は謝憐の母である皇后の妹の息子であり、しかも殿下大好きなヤンデレだった。風師の言う「東南武神と西南武神は幼なじみで、東方武神は弟子で、青灯夜遊は従弟で、血雨探花は杯を交わした兄弟で、風師は友達はすごい」はその通りよ。風師はその名の通り、風が吹けば心の暗い霞も吹き飛ぶような人。
第二十五章
太蒼山には楓の林があるね。そこには仙楽古国の陵墓が隠されていた。
一日目の読書はこの辺りまで。ふぅ~。
戚容が若い父親に取り憑いてきたのか~。戚容が殿下に言う「全部お前が悪いんだよ!」はどこかで聞いたような……。え?ここから第2巻なの?
第二十六章
仙楽国の過去編が始まる。16,7歳の慕情がキラキラしており、風信も毅然としている。国主と皇后も凜々しい美男子と美しい貴婦人と描写され、戚容も表情は凶悪ながらも目を奪われる美しさであり、いずこも美にあふれている様子の豊かな仙楽国皇宮。
謝憐は演武の途中ながらも、落ちてきた7,8歳の子供をキャッチ!表紙の場面である。そんなこんなで上元祭天遊で城を3周しかできず3年分だけの功徳とは……。
第二十七章
祭典の変更を慕情が国師に伝えようとした時に、四人の国師たちは牌遊戯(札遊び)に興じており、伝達ミスとなってしまった。悦神武者の衣装には色や装束にそれぞれ意味がある。
太子殿下が「この世の多くの人は、私の目には石ころにしか映らないんだ」とにっこり笑って言うのがかなり意外で、「風信と慕情を美玉」と言う殿下は無邪気というかなんというか……。眼中にないなら分かるがわざわざ石ころと感じる辺りが、太子という地位にあるがゆえの感覚なのかな。
太蒼山にはさくらんぼ・桃・梨・蜜柑が植えられている。戚容が太子殿下を入り待ちしている様子は「株を守りてうさぎを待つ/守株待兔」と称されている。『韓非子 五蠹』が出典で、戦国時代の宋の農民が、兔が切り株にぶつかり死んでいるのを見て、また同じような事が起きるのではないかと鋤を置き毎日切り株のそばで待ち続けたという逸話。
MXTX世界では横暴な人の馬車は暴れがち……。ボタンの掛け違えが悪い方向へ行くのを描くのが巧みだな。
仙楽国の国風が現わされた皇宮はさぞ美しいのだろう。母の皇后の裕福な暮らしによる麗しさと、慕情の母親との対比。
戚容はあの子供を馬車で引きずっていた。10歳の紅紅とそんな因縁があったのか。少年は自分を醜いと思っていて、身体は頑強らしい。
仙楽太子と父の仙楽国主は相容れず反りが合わない。そして戚容の父は屋敷の侍衛で、駆け落ちした後は妻を殴る蹴るのロクデナシ……。
第二十八章
紅紅少年は喧嘩をして家を追い出されていた。この辺り、地獄というより沼地を歩いているようだ。戚容の嵩にきた横暴さは温晃か。
国師にとっては民というのはすぐに忘れてしまうが、お上である神への慎重な気配りの方がより重要である。少年の天煞孤星、出た!『如意芳霏』の粛王もこの相だったよ。
国師の「杯水ニ人(二人いるが水は一杯のみ)」の問いに対して「もう一杯与える」と答えた謝憐。国師は「この世の運気の良し悪しには定数というものがあり、変えれば怨恨と罪業を増やすことになる」と諭す。
国師の「人は上に向かえば神となり、下に向かえば鬼となる。上に向かおうとも下に向かおうとも、人はやはり人なのです」が印象的。
太子殿下が飛昇した!
第二十九章
郎英により、仙楽国にある永安が干ばつとなっていると分かる。
第三十章
謝憐が出て行くために自分で自分の神像を倒している。郎英が会ったのは戚容というのがまた間が悪いわね。
第三十一章
干ばつは「水」の問いに似ている。仙楽国全体が水不足で、栄えている東は人口も多く、西の永安が干ばつとなっている。
第三十二章
仙楽太子像は「片手に剣、片手に花」であり、ここの太子像にある本物の白い花は、12,3歳の少年が供えていた。殿下が赤い傘をそっと置くと、少年は「太子殿下、あなたなんですか!」と叫び出す。苦しさを訴える少年に殿下は「なんのために生きればいいかわからないなら、私のために生きなさい」と答える。「私のために」は第1巻でも出ていたし、アニメでもあり知っている言葉なのだけれど、ここで読むと少年の苦しさが伝わってきたからか、なんだか心打たれて泣けた。
第三十三章
雨師を訪ねて農夫の言う「助けるのは人情からで、助けないとしたら本分ではないから」は実に理に適っている。雨師笠にできるのは雨を運ぶことで、水は生み出せない。国対国のつらさ、限られた資源をどう分配するか。
第三十四章
謝憐が飛昇してから悩みも尽きなくなっている様子は、責任ある立場に立った者が抱く思いで、国主もその一人である。城門を閉ざし永安人を受け入れなくても、大勢が待っていると期待して待つという所が、群衆心理を描いているな。
第三十五章
皇后の「世の中にはただ真心を込めるだけでは意味がなく、能力が必要なことがたくさんあり、皆が心を一つにしていなければならない」は、孤軍奮闘している謝憐には重い言葉だ。ここでの仙楽人と永安人の闘争の発端は、攫われた金持ちの娘であった。
第三十六章
謝憐が初めて千人もの人々を殺めて頭の中に浮かんだ「虫けら」という言葉。そして永安にはどこからか援助が向けられているらしい。風信と慕情に「私は三人で肩を並べて戦ったことが後世まで末永く残ればいいと思ってるよ」と言う太子殿下……。
第三十七章
郎英の望みは「この世から仙楽国が永遠になくなること」になっていた。その言葉は紅紅の「世の中の人間を皆殺しにして」とも重なり、少年は太子殿下に助けられているから殿下に耳を傾けるけれど、郎英はそうではないので殿下の言葉は彼には響かない……。
第三十八章
謝憐は少年に刀を勧めており、戦闘については一目でそうだとわかるらしい。謝憐は慕情にも刀を勧めていたよね。
温柔郷は音声が付くと色っぽい場面なんだろうな。謝憐が抑圧してきたものは「殺欲」なのか。そして少年の腕を見込んで引き上げようとしていた。
温柔郷の出典は、『君花海棠の紅にあらず』でもお馴染みの寵妃 趙飛燕の妹である趙合徳を前漢 第12代 成帝が評した言葉でもある。趙姉妹は揃って成帝のお気に入りだったのだ。『聊斎志異 天宮』にもある。
伶玄(漢代)《飞燕外传》
是夜进合德,帝大悦,以辅属体,无所不靡,谓为温柔乡。
谓懿曰:“吾老是乡矣,不能效武皇帝求白云乡也。
『聊斎志異 天宮』
遂使糟丘台上,路入天宫;温柔乡中,人疑仙子。伧楚之帷薄固不足羞,而广田自荒者,亦足戒已!
第三十九章
武神は戦には勝てるが、疫病には無力である。口論を始めると風信と慕情は四字熟語しりとりをしなくてはならない、「天官賜福→福星高照→照本宣科……」。
殿下は仙楽と永安の双方を少しずつ助けているので、双方が生き延びて、その結果争いは益々激化している。十代の若者は忠告を聞かないし転んで初めて気付く……。神も妖魔鬼怪は来てもらうのは簡単でも、満足して帰ってもらうのは難しいという国師の言葉も刺さる。ああ無情。
君主の気なんてものがあるの??『十二国記』の王気を思い出すよ。そうなってしまうと太子殿下ですら郎英を殺せない。白衣の人物とは一体!?
(つづく)
日本語翻訳版第2巻感想
『魔道祖師』はドラマで物語を知っていたので読むのも一気だったが、『天官賜福』はアニメ第1期分までで、初めて読む物語という事もありソロリソロリと読み進めていった。
半月国でも出ていた地師が鬼界の間者だったり、第19章辺りで謝憐が芳心国師で血生臭い事件に関わっており、新しい事がわかって開けていくというよりも、どんどん閉じていく感覚が強くなり、ずいぶんと疲れてしまった。
第23章、青鬼戚容が従弟とわかり、名前の挙がっていた人物が、意外と身近な存在とわかることが多く、なんだか長い長い洞窟を進んでいくような陰々滅々な気分となってくる。これスカッとする日は来るんだろうかと不安にもなる。
戚容が鬼だった時は、その趣味のワルい残虐性はどこかで見たような気がしていたが、皇族とわかってからはむしろ温若寒がいない温晃に思えてきた。誰も抑えのきかない皇族青年はかなり頭の痛い存在であろう。
誰よりも太子殿下を慕っていた戚容が、今や最も憎んでいる様子を描いているのは、ネット社会でうかがい知る熱狂的なファンとアンチを思わせられる。「崇拝しすぎるな」は『魔道祖師』でも描かれていた世界。殿下に執着しつつ言いたい放題なのは、どこか薛洋みもある。
そんな中、アニメ第1期で知っていた「わたしのために生きなさい」を物語の中で知ると、この鬱々展開の中で光である。それはこの先ボロボロになるであろう太子殿下を守るであろう、この少年の成長への期待である。そして思っていたよりも少年は殿下の前に現われて何かと助けていた。
地獄、という事で魔道祖師の義城編が挙げられるが、あれは短い中にギュッと詰まっていたし本編ではないので、地獄と鮮やかさが同居した不思議な魅力があるエピソードである。こちらはそれが本編で続いており、しかもそれが国家規模なのでスケールも大きくなっている。
魔道祖師は武侠小説の流れをくんでいるが、こちらは中国宮廷ドラマ系な利益と陰謀が渦巻く感じ。
第1巻はなにがなんだか見えなさすぎたが、第2巻での大きな発見は、仙楽国を滅ぼした永安国は、もとは同じ国の人たちだったという事である。つまりこれって困窮に耐えかねた地域が起こした内乱なんですね? 中国の歴史で繰り返されている王朝の入れ替わりを彷彿とさせ、そして岐山温氏と言い永安と言い、西から東へ攻め入るというイメージなんだな。
第2巻を読み終えて第1巻を読むと、郎千秋のあたりで「永安国の建国の祖こそが……反乱軍の頭目だったのである」とあり、あの郎英が郎千秋の先祖とは気付かなかったわ。芳心国師についても殿下はちょこちょこ言及している、とはいえ第2巻から読み返して気付くことである。風師の言う通り、太子殿下の知り合いが多すぎなのではと思ったが、800年も生きていればそういう事もあるわね、とも思い直す。
温柔郷は、ふと仏陀が悟りを得る前に誘惑したというマーラ(魔王)の娘を思い出した。そう言えば謝憐もシッダルタも太子殿下だな。
天に勝負を挑んだ太子殿下の賽の結末は、コチラ側の我々はうっすらと知っているのでため息をつくしかないのだが、むしろ上元節祭典で慕情が国師に伝えようとしていた時の、ちょっとした立場での思惑違いがどんどん悪い方へと転がっていくあの描写が実にリアルで、この物語はそういう事の連続でじわじわと蝕まれていく感触がある。
第28章のあたりでは、地獄というより沼地を歩いているようにも感じられていた。
今回、もっとも印象に残ったのは国師の「上に向かおうとも下に向かおうとも、人はやはり人なのです」という言葉で、神でも鬼でも行動の元となる思いは人に共通したものなのだろうという事が推し量られる。
そして国師の問いにもあるように、この物語は「限られた資源をどう分配するか」という問いを投げかけられているように思われ、考え始めるとなんだか経済学のようでもあり、そういえば作者の墨香銅臭氏は経済学部を専攻されていたのだったと思い出す。
半月国と永安国で起きたことが重なり、半月が永安での大量殺人を回避するために半月国の門を開けたように、太子殿下も仙楽人のために永安国王と仙楽末裔の安楽王を殺していたという難しい選択がなされていた。半月国の土埋面と、仙楽国で埋めた郎英の子供も重なるね。第1巻の土埋面がカワイイレベルで人面疫はグロい。そして問題はいつも「水」を巡っているような。
そんな中で第2巻の風師の存在は有り難かったし、厄命もかわいい。帯の「一目で」はこの厄命の目も思い浮かんでしまうよ。このような存在が増えて欲しいものだ。
第2巻まで読むと、アニメ第1期の解像度がものすごく上がったのも良かった点である。
第2巻までのこの思いを昇華すべく、ネットにあるであろう感想を見に行きたいのだが、いかんせんこの先のネタばれに遭う可能性もあるので(魔道祖師でよくあった)、あまりウロウロできないのがツラいところである。
この鬱々もいつか「そうだったのね!」となる事を信じて、次巻発売を待つ日々である。
▼天煞孤星について。
▼趙飛燕について。
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