1.梨花白つれづれ
陳情令第8話に出てきた、宿屋で会った江澄と温情が共に注文する「梨花白」というお酒。
調べてみると「中国の古代のお酒、宋代のお酒」という説明の他に、『千里之外』の歌詞に出てくるとあり、なにか昔の詩かと思いきや、ジェイ・チョウ(周杰倫)の『遥か彼方』ではないですか! そして梨花白の元々の由来は、白居易の『長恨歌』ともある。
ということで、今回は、梨花白に関する、白居易の『長恨歌』と李白『宮中行樂詞』、ジェイ・チョウの『千里之外』と江澄の櫛についてである。櫛に関しては陳情令第28話を観ていない人にはネタバレになります。「梨花白」酒も櫛も、陳情令のみの設定である。
2.長恨歌
白居易の『長恨歌』。
唐の玄宗皇帝と楊貴妃を詠んだ有名な詩で、とても長いので抜粋のみ。
玉容寂寞涙闌干 梨花一枝春帯雨
(略)玉の顔ばせは寂しげで、涙が盛んに流れ落ち
一枝の白い梨の花が、春雨に濡れそぼっているかのよう。
山田勝美「中国名詩鑑賞辞典」1985 角川書店
梨の花の落下は、涙を意味している。
3.「梨花白」の詩
李白『宮中行樂詞』には、「梨花白」が出てくる。
こちらも玄宗皇帝宮中の行楽のさまをうつした作。
唐 李白 五言律詩『宮中行樂詞』
芽を出したばかりの柳の色、それは黄金の気高さであり、やわらかに若い。
梨の花は白雪のきよさ、香のある白雪である。
玉楼、珠殿、みな硬玉と真珠でかざり立てた楼閣殿舎であり、翡翠はうつくしい羽根をした鳥、鴛鴦はおしどりである。
吉川幸次郎,三好達治「新唐詩選」1952 岩波新書
4.ジェイ・チョウ『遥か彼方』
ジェイ・チョウ『千里之外』
聞涙声入林 尋梨花白 只得一行青苔
(略)涙の音を聞き林に入り 梨の白い花を探すけれど あったのは一筋の 青い苔だけ
この部分はラップで歌われている歌詞である。
日本語訳を読みこんでいると、今度はなにやら、魏無羨の魂を探す姿に思えなくもなくなってくる。抜粋なので、興味のある方は検索してみてください。
屋檐如懸崖 風鈴如滄海 我等燕帰来
(略)
我送你離開 天涯之外 你是否還在
琴声何来 生死難猜 用一生 去等待
(略)
芙蓉水面採 船行影猶在 你却不回来
崖のよう。風鈴の音。燕が帰ってくるのを待っている。
(略)
君を見送り、天の果てに、君はまだいるのだろうか。
琴の音はどこから聞こえるのか。生死はわからない。
一生かけても待っている。
(略)
水面の蓮の花を摘んだ、船の通った跡はまだあるが、君は帰ってこない。
YouTube(4:32)
5.赤い袖とお酒
唐の白居易『杭州春望』。
杭州の名産に「梨花春」という、梨の花が咲く時期に熟成されるお酒があるそうな。
紅袖織綾誇柿帯
青旗沽酒趁梨花
(略)赤い袖の娘たちは、「柿蒂花」の織り物が自慢、
青いのぼりの酒屋では、「梨花春」がよく買われる。
石川忠久「白楽天100選」2001 日本放送出版協会
いずれも杭州の名産品。
そして温情も赤い袖ではあるのです。
6.江澄の櫛と長恨歌と
さて、江澄と温情の櫛の話である。
「梨花白」が『長恨歌』をモチーフにしていると考え、この詩について見てみるとする。
ざっくりあらすじを述べると、楊貴妃にいれこんだ玄宗皇帝だったが、安禄山の乱がおき、都落ちをして逃げる最中、周囲の圧力で楊貴妃を泣く泣く死なせてしまう。
乱がおさまり長安に戻る玄宗皇帝。楊貴妃への思いは絶ちがたく、魂を呼ぶことができる道士に楊貴妃の魂を尋ねる。
すると楊貴妃は仙女になって海上の仙島におり、彼女はかつて玄宗皇帝から貰った螺鈿の香箱の片方、金のかんざしを二つに折って道士に渡し、玄宗とかわした誓いである「比翼の鳥、連理の枝」を伝え、ふたたび会えることを願ったというお話。
そこで思いつくのがかんざしならぬ、櫛なのである。
江澄は温情に好意を持っていたが周囲の状況の中、断念したところが似ていなくもない。そして温情は江澄から貰った櫛を返すが、これが折って、でなく、丸々返した、というのが温情の返事とも思われる。
ちなみに源氏物語「絵合」で、斎宮女御が朱雀院に贈られた櫛をいささか折って返す、というのはここに由来しているという説もある。
源氏物語と長恨歌は、「桐壺」との関連が深いが、斎宮ともゆかりがあるのは興味がそそられた。
斎宮女御は六条御息所の娘で、梅壺女御・秋好中宮とも呼ばれる。斎宮となる時に朱雀帝(光源氏の兄)から「別れの櫛」を贈られている。斎宮は、自身が帝である時には都には帰ってこれない、帰ってきたら次の帝の妃になってしまう、なかなかの展開である……。
あの返された櫛を、きっと陳情令の江澄は、今も蓮花塢のどこかに置いているのだろう。かつて魏無羨の陳情笛をずっと持っていたように。
陳情令の詩歌に関するエピソードはどこか切ない。
おまけ
「梨花白」という白い蓮の花の品種もあるようだ。
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