「魔道祖師Q」に出てきた漢詩を調べる中で、ドラマ「陳情令」や原作小説「魔道祖師」と縁のある中国詩歌がいくつか出てきて、物語の世界が広がる思いがして興味がわいたので書き留めてみる。
漢詩の本をあたる中で見えてきたのは、詩の解釈というのは解釈する年代や著者によって異なるものらしく、最終的な解釈は読者に任されるところが、物語の解釈と似ている。
なので、ここにて詩をとりあげるのは、これらの詩から取られて作品が作られた、というよりは、中国の詩歌には類似したこういうのもありますよ、という意味合いで紹介している。
1.楚辞・招魂
まず、陳情令第1話に出てくる
魂兮帰来 不下幽都
hún xī guī lái、bù xià yōu dōu
第1話の最初と最後に、路上の男性が
「魂よ 帰り来たり 幽都をあとにする」
と詠うように繰り返す場面である。
この言葉は『楚辞』の巻九「招魂」に出てくる言葉であった。
『楚辞』とは、楚の地方の歌にのせた詞で、
『詩経』が中国の北(黄河流域)ならば、
『楚辞』は南(長江流域)の文化のものである。
(楚辞は後漢の王逸が編纂する中で、儒教や屈原の書いたものとされる主張が強まった、とも本にはある)。
楚という国は、死者の霊魂を信じ、とりわけ厚く祀る文化だったようである。人は死ぬと魂が肉体から遊離する。しかし抜け出した魂は、呼びかけによって再び魄に戻ってくることもあり、死者の魂に、行ってしまうな、戻っておいでと呼びかける。これが死者儀礼における招魂とされる。
楚辞「招魂」でも、帝が巫陽に命じて、巫陽が魂を招くために言うことばとして「魂兮歸來」と、計十回以上繰り返して言っている。
なので、この楚辞の「招魂」を知っている人ならば、まさに魂(ここでは夷陵老祖)を召喚している場面だという事がわかるのではないか。
この「招魂」の詩は長く、このフレーズは『楚辞』巻九「招魂」第三段の中の
魂兮帰来 君無下此幽都些
魂よ帰り来たれ、君この幽都に下ることなかれ
星川清孝「新書漢文大系23 楚辞」2004 明治書院
の部分にあたる。
幽都とは、后土(地母神)が治めている地下の都である。
この詩では、「東西南北、どこへ行っても辛い思いをする、こちらは素敵な所(豪華な饗宴や舞楽など)だから還っておいで」といったことを詠っている。
そんな楚辞の「招魂」のフレーズの後に、復活した魏無羨が現世で初めて受けた歓迎というのが、莫家の召使いから蹴飛ばされる、というのが、なんとも言えない思いになるのである。
もっともじきに藍忘機からの、無類の甘やかしに浸ることにはなるのだが。
雲夢の沢
また、詩の最後である第十段は
「湛湛江水 上有楓 目極千里 傷春心 魂兮帰来 哀江南」
湛え満ちた大川の水、その上には楓樹が茂る。千里遠く目の届く限り眺めていると、春の心を傷ませる。魂よ帰り来たれ、江南は哀しい
で終わる。
第十段は、かつて屈原が君主と共に雲夢の沢に狩りをした絶頂期を回想させ、いま流離する江南の寂しい風景と対比させているものとされている。
陳情令・魔道祖師で雲夢江氏に起こった事を思うと、もの哀しい気持ちにもなってくる。
丁度この記事をまとめていた頃が、アニメ第11話を観た頃だったこともある。
雲夢沢は、古代中国で湖北省の武漢一帯にあったとされる大湿地。
のち、長江と漢水が沖積して平原となった。
2.柳の草笛
第1話で魏無羨が草笛で曲を吹く場面がある。
陳情令ブルーレイBOX3の特典映像DVDを観ていて、肖戦が歌う魏無羨のキャラソンMV「曲尽陳情」で、この葉っぱが「柳」であるらしいことがわかった。
晚来揽星归 摘片柳叶吹彻天边
満点の星の下 地平線に吹きすさぶ柳の草笛
わざわざ「柳」というからには何か意味があるのか? と漢詩を調べると、旅立つ人と別れるとき、柳の枝を折ってわたす「折揚柳」※という習俗があるらしく、
旅立つことや別れと柳は、密接な関係にあるようなのだ。
※柳と留(liu)の語呂合わせ。ゆるやかな環にして結び、これを渡す。環と還る(huán)の語呂合わせともなっている。
また、送別の時に笛で吹く曲に「折揚柳」(蛍の光のようなもの)があるそうな。中国の柳の花言葉には、別離・帰還ともある。
この柳の草笛の場面は、別れというよりは、遠く離れた旅先で望郷の念にかられたーそれが場所ならば蓮花塢、人ならば藍湛をーという意味なのかなと推測している。
YouTube「曲尽陳情」(柳の草笛は0:30辺り/ 3:53)
ちなみに原作やアニメ「魔道祖師」では、この二つの場面はなく、これらは陳情令の注釈である。
これらの詩歌、需要があるのかどうかアヤシイですが、せっかく調べたメモとして、しばし不定期ながらシリーズ続きます。次回は雲夢江氏についてです。
▼柳の場面
▼陳情令19話&43話の台詞について。
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