笛の音と琴の調べ

ドラマ「陳情令」・「魔道祖師Q」・小説/アニメ「魔道祖師」の感想や考察を綴っているブログです。「君花海棠の紅にあらず」とアニメ「天官賜福」、漢詩で「山河令」もはじめました。

含光君・藍忘機の意味由来をたどる/魔道祖師・陳情令と中国詩歌⑦列子/魏無羨と聶懐桑

今日は藍忘機・含光君の名前のルーツを中国文学からたどります。
実際にどれくらい関係があるのかは定かではありません。

中国語ではこんなニュアンスもあるのだと、ちょっぴり味わってもらえればよいのです。長いです。

含光と『列子

藍忘機のである「含光君 hán guāng jūn」。

陳情令・魔道祖師と中国詩歌③で
虞夫人「紫電」のルーツをたどっていた時に、
含光」が古代中国の剣であり
列子』にて、衛の孔周が秘蔵していた
三宝剣のうちの一つとわかった。


列子(れっし)とは、
先秦時代の道家・列禦寇(れつぎょこう)の
撰したものとされている。
老荘思想の寓話神話伝説に富んでおり、
数多くの故事成語も生まれている。

 
列子 湯問 第5 第16章 第2段
に「含光」のくだりがある。

(略)
一曰含光
視之不可見
運之不知有其所觸也。
泯然無際
經物而物不覺。
(略)


第一の剣は含光とよびます。
この剣は、目をすえて見ても何も見ることができず、
これを振りまわしても何にさわったか手ごたえがはっきりせず、
ぼんやりとして見さかいがなく、
なにか物にふれても、
ふれられた物のほうも気づかないといったしろものです。

福永光司東洋文庫 列子2」1991 平凡社

「含光」の言葉のイメージと異なり、なんとも不思議な宝剣なのである。

避塵と『老子

列子」の本を解説した福永光司氏は、膨大な注釈を付けており、
この「含光」にも、『老子第4章』の出典を記している。
おかげで老子と関連付けられた。 

 

老子道徳経 第4章』は

(略)
和其
同其
(略)

「道」を説いたもので、
すべての激しいようすはなだめられ,
すべての塵は(はらい除かれ)なめらかになる。

小川環樹老子」2005 中央公論新社

 と、藍忘機の剣「避塵 bì chén」を少し思わせるのである。


この言葉は「和光同塵」という四文字熟語の由来ともなり、“自分の能力を包み隠して俗世間と交わる”という意味で用いられる。

しかしそういった処世訓ではない、老子思想の「光を和らげ、混沌たる世界に合一する」とする解釈を強調する著作もある。(第52章、56章も同様に「光・塵」がある)

 

また『老子』を読んでいると、
老子 第14章』には、

目をこらしても見えないから、すべり抜けるものとよばれ、
耳をすましても聞こえないから、かぼそいものとよばれ、
手でさわってもつかめないから、最も微小なものとよばれる。

というのもある。
列子』の含光剣が示す、なにかのようではないか。

魏の黒卵と仇討ち

そして先述した「含光」のくだりがあった
列子 湯問第5第16章第2段』のタイトルは
宝剣を借りて仇討ちをした来丹の話」といい、
この逸話がじつに興味深い。

 
あらすじを紹介すると次のようになる。

の黒卵という強者に、親を殺された来丹が仇討ちをしようとするのだが、
来丹は弱く、殷の天子が用いていた宝剣の力を借りて仇を討とうとする。
そこで紹介された宝剣のひとつが含光なのである。
(実際に来丹が借りた剣は、宵練剣)

そして来丹は、宝剣を黒卵にふるう。
人を殺す剣ではないので、黒卵を殺すことはできなかったが、
不思議な痛みを与えることはできたとある。

小林信明「新釈漢文大系22 列子」1967 明治書院

 そしてこの物語の説明として

力の強すぎる人は、意識的無意識的に、他の人や物を簡単に傷つけてしまうが、そこに怨みが生まれ、知らず知らずにその怨みに報復されている

とも書かれている。

なんだか魏無羨と、そして聶懐桑を彷彿としないだろうか。

そしてこの章の最後に「厭」という文字が出てきて、厭=まじない、の意味ともある。


また、ここに出てきた宝剣については
「世間で珍重するものは、往々にして人を傷つけるものであるが、
至上の物は、ぜったいに物をそこなわないことを言う」とある。

含光君のイメージになるのだろうか。

忘機と『列子』と漢詩

一方、藍湛の(あざな)であり
法器・の名前でもある「忘機 wàng jī」。
漢詩の本を読んでいると、「忘機」という言葉は意外と出てくる。

機心:たくらみのこころ

忘機たくらみの心を忘れる

という意味である。

 

そしてそれらの元となっているのはこれまた『列子』とあり、
「含光」が列子から用いられていることからも、こちらから取られた可能性が高いように思えてきた


列子 黄帝 第2章 第11章

「鷗鳥と遊ぶ男」

昔、浜べの人がいて、毎日白鷗(かもめ)とたわむれていたが、
ある日、父親に言われて鷗をつかまえようとすると、
鷗はその意を察知して近づかなかった。

石川忠久「漢詩の楽しみ」1982 時事通信社

機心(たくらみのこころ)がはたらくと、鷗が察知する、というもの。

 

「忘機」が出てくる漢詩も紹介しておく。
唐の白居易 琴酒』に、琴や酒や忘機が出てくる。

(略)
耳根得所初暢
心地忘機半酣

 

をのびやかに奏でるや、耳が所を得たように満足し、
を楽しみ飲んで半ばになると、心はたくらみを忘れてしまう

酒を飲む魏無羨と、琴をつまびく藍忘機の姿が、うっすらと思い浮かぶようである。

 

はかりごとが多い魔道祖師・陳情令の中で、

藍忘機

“たくらみの心を忘れる”

という名にこめられた、なにがしかの思いが感じられてこないだろうか。

 

 

 

 

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