39話メモ&感想
方典膳は米や大豆も乾燥してあると言い、これで半月は持ちこたえられると。方典膳が孫貴妃に「野草処方書(野菜方)」を手渡す。
蘇月華の牢での荒んだ感じ、王楚然が良いね。蘇月華は姚子衿と親しくなりたかったのね。孟尚食は「救荒本草」に書かれた内容を参考にして1000種以上の野生植物を栽培し、誤食時の治療法や毒を除く方法を研究していた。その事に驚き思うところがあった様子の蘇月華。孫貴妃は毒草について歌にして物乞いたちに広めさせるように指示。「救荒本草」は永楽帝の弟である朱橚(しゅしゅく)が飢饉の時に食用(救荒食)となる植物について編纂したもの、そんな皇族もいたのね。
袁琦は6歳から仕えて24年。朱瞻基が16歳で北征した時敵に囲まれ500騎が13騎となり、敵の将軍を射落とし突破、その時に袁琦だけが付いてきて矢傷を負った。16歳というと永楽12年(1414年)3月の永楽帝第二次北伐あたり。
袁琦が「陛下の盾になります」と言った時、漢王に付いているのは情報を探るためだったのか?と思ったが、やっぱりアヤシイそのお茶の出し方。瞳をうるませている朱瞻基にほだされないのかしら。
漢王は皇帝が死んだと思い進軍する。
孫貴妃は「陛下は福に恵まれているので凱旋する」と張皇太后に言う。第1話で朱瞻基自身が「困難に遭おうと必ず切り抜ける」って言ってたもんね。「しきたりが正しければ永遠に踏襲され、そうでないなら必ず消滅する日が来る」「誰かが成し遂げてくれる」は殉葬がそうだった。
趙王がこの機会に乗じて宮中に乗り込んでくる。
陛下は定国公 徐永昌と彭城伯 張昶(ちょうちょう)に留守を任せ、安郷侯 張安、広寧国 劉瑞もいる。
《明史纪事本末 卷二十七》
高煦之叛
乙丑,敕遣指挥黄谦,同总兵、平江伯陈瑄防守淮安,勿令贼南走。令指挥芮勋守居庸关。令法司尽弛军旗刑徒从征。戊辰,命定国公徐永昌、彭城伯张昶守皇城;安乡侯张安、广宁伯刘瑞、忻城伯张荣、建平伯高远守京师。己巳,命丰城伯李贤、侍郎郭璡、郭敬、李昶督军饷;郑王瞻埈、襄王瞻墡留守北京;广平侯袁容、武安侯郑京、都督张升、山云,尚书黄淮、黄福、李友直协守;少师蹇义、少傅杨士奇、少保夏原吉、太子少傅杨荣、太子少保吴中、尚书胡氵荧、张本、通政使顾佐扈行;陽武侯薛禄、清平伯吴成为先锋。
胡皇后が悪疫に感染していることを恐れ、游一帆は子衿を部屋から連れ出そうとするが、子衿は応じず腕輪を投げつけ「与えられた苦難を耐え抜きたい、朱瞻基のためなら」と答える。知母は解熱作用があり喘息を和らげ、草果仁は痰を乗り除く。逃げだす典医、おいっ。これらの漢方は、文字として「母」や「草果」を使いたかったんだろうか。
孫貴妃は胡皇后の他人を救うために自分を犠牲にする姿に感銘を受けていた。胡皇后は役立たずだと思っていた自分が、診療所では自由を感じており、子衿に「陛下に寄り添い励まし永遠におそばを離れないで。身分の高い人間はとても孤独」と伝える。胡皇后を抱き寄せる孫貴妃。
趙王が張皇太后を脅すも禁軍が包囲、游一帆が張皇太后に刀を突きつけるも、宣徳帝が帰ってきた!
今回はさすがに料理なし~~~。
外部サイト
▼許凱、呉謹言のインタビュー記事。
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