笛の音と琴の調べ

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青灯夜游と秉燭夜遊①天官賜福と中国文学/《古诗十九首 十五首》,李白《春夜宴桃李园序》

『天官賜福』『魔道祖師』の作者である墨香銅臭氏が、2024年3月25日(月)に中国サイトにて声明を出した。

「死日(第四作目《死神没有休息日》)を楽しみにしてくださってありがとう。執筆条件の変化で当初思い描いていたものではなくなってきたので、いったん保留とします。条件が適えば再開します。創作活動をやめるワケではないのでご安心を(意訳)」。

それと同時に晋江文学城の《天官赐福》が解除され、作者の加筆部分も公開されたようだ。なんでも第112章が話題なんだとか。修正版については月刊すばる6月号で話してましたね。
アニメ『天官賜福』貳の日本語吹替版が終了した時点で、作者からメッセージが発せられたのは嬉しい限り。

いつか新作を目にすることができるといいな。一度、設定以外は物語の展開が全くわからない状態で、作品を読んでみたいものだ。『天官賜福』に関しては、物語を観る前から花城のことが分かりすぎていたもんなぁ……。

青灯夜游と秉燭夜遊

アニメ『天官賜福』貳の第7~8話で、青鬼の洞窟に潜入した太子殿下と三郎が青鬼化していた場面があった。原作小説でも読んでいたが、アニメで絵として見ると青鬼な殿下もカワイイし、三郎はカッコイィ。なれど頭の上にロウソクが乗っているというのは、なかなかシュールな絵柄でもある。

天官賜福貳7話

そんな中、中国ドラマ記事で検索していた折に、【秉燭夜遊】(へいしょくやゆう)という四文字熟語を見つけた。意味は「夜になったらともし火を手に遊べばよいという享楽志向を述べる」語句である。

中で気になったのは、【秉燭】は「手に灯火を持つこと」、なのだ。

一方、青灯夜游(せいとうやゆう)は青鬼 戚容の異名で、小説『天官賜福』第2巻 第22章には、その手下の青鬼たちは「頭上に灯火を一つ乗せていて、全身がまるで大きな青い蝋燭のようだ」とあり、手下の小鬼は全員この格好をしなくてはならない。

《天官赐福 玲珑骰只为一人安 2》
这些小鬼个个头上都顶着一团灯火,从头到脚仿佛是一根青色的大蜡烛


灯火を手に持つのではなく、頭に乗せている……という事から、
青灯夜游は、秉燭夜遊をもじっているのではないか?と連想を膨らませたのだ。

それにしても頭に灯火を乗せるとはどういう発想なのかしら。日本なら丑の刻参りでそういう風習はあるのだけれど、中国にはなにかあるのかな。

 

【秉燭夜遊】の典拠は
《古诗十九首》十五首
《文选·曹丕〈与朝歌令吴质书〉》
李白(唐代)《春夜宴桃李园序》
にあり、
墨香銅臭氏は比較的、李白の詩に馴染みがある印象があるので紹介してみる。

これらが青光夜游の由来である、と言うよりも、好きな物語に乗じて中国文学に親しむ、という趣旨のものなのでご容赦を。

◆「月日は百代の過客にして」で始まる、かの有名な松尾芭蕉の『奥の細道』の序文は、この李白の文章に依っている。
下線部の漢文は日本語訳を引用した。

李白(唐代)『春夜宴桃従弟李園序』
夫天地者万物之逆旅也;光阴者百代之过客也而浮生若梦,为欢几何古人秉烛夜游,良有以也。况阳春召我以烟景,大块假我以文章。会桃花之芳园,序天伦之乐事。群季俊秀,皆为惠连吾人咏歌,独惭康乐。幽赏未已,高谈转清。开琼筵以坐花,飞羽觞而醉月。不有佳咏,何伸雅怀?如诗不成,罚依金谷酒数

過ぎ行く時間とは永遠の旅人のようなものだ。
そしてはなかい人生は夢のようなもので、楽しみをなす時とて、どれほどあるだろうか。
昔の人はともし火を手に夜も遊楽をもとめたが、まことに理由のあることだ。
多くの若者は詩才豊かで、みな謝恵連のような素晴らしい詩をつくる。
わたしの詠む詩だけが、その従兄の謝霊運に及びもしないのを恥じるばかりだ。
玉のように美しい敷物を敷いて花のもとに座り、羽根飾りの付いた杯を交わして月のもとで酔う。
もし詩ができなければ、罰杯は金谷園の宴の酒杯の数にならうこととしよう。
向嶋成美「李白杜甫の事典」2019年 大修館書店

この文章の題名は一般的には《春夜宴桃李园序》なのだが、《春夜宴桃従弟李园序》とするものもあり、青灯夜游な戚容が太子殿下の従弟であることを思い出すと、意味深く思えてくる題名なのである。
そしてこの文章の中に、謝恵連とその従兄である謝霊運(康楽)が出てきて、「従兄の謝霊運に及ばない」とあるのだ。仙楽太子な謝憐を重ねてしまうではないか。

そしてこれは全く連想でしかないのだが、芭蕉の編み笠と、太子殿下の編み笠姿もなんとなく似て見えなくもない。


◆「秉燭夜遊」の表現の原型。
物笑いや仙人というのが、太子殿下を思い出すような。

『古詩十九首 其十五』
生年不滿百  常懷千歲憂
晝短苦夜長  何不秉燭遊
為樂當及時  何能待來茲
愚者愛惜費  但為後世嗤
仙人王子喬  難可與等期

百年にも届かぬ人の一生。千年も続く憂いが常につきまとう。
昼は短く夜が長すぎるならば、灯りを手に遊び続けたらどうか。
楽しみに乗り遅れてはならぬ。次の年まで待っておられようか。
金を出し渋る愚か者は、後世の物笑いとなるだけ。
仙人の王子喬、それに並ぶ寿命など得られはしない。
川合康三「中国名詩選 上」2015 岩波書店


◆魏の文帝 曹丕の書で、「秉燭夜遊」の直接の典拠。

『文選 曹丕 与朝歌令呉質書』
年一过往,何可攀援。古人思炳烛夜游,良有以也。


◆《古詩十九首 其十五》と同じ二句である「晝短苦夜長 何不秉燭遊」がみられる。

古詩『西門行』
出西门,步念之,今日不作乐,当待何时?逮为乐,逮为乐,当及时。何能愁怫郁,当复待来兹。酿美酒,炙肥牛,请呼心所欢,可用解忧愁。人生不满百,常怀千岁忧。昼短苦夜长,何不秉烛游。游行去去如云除,弊车羸马为自储。
川合康三「中国名詩選 上」2015 岩波書店

「脂ののった牛を焼こう」「人の命は百年もないのに、千年の憂いが始終離れない。昼は短く夜は辛いほど長い。なぜに灯りを手に遊ばないのか」と詠っている。

 

元々、秉燭夜遊は「人ははかない命なので夜を惜しんで楽しもう」という意味合いである。
それが青灯夜游は「800年も生きながらえて、絶になれない凶」と評され、三界をひっかきまわしている。
そこにアイロニーがあって興味深いのだ。

 

 

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