江澄の言動への違和感
陳情令第16話、アニメ魔道祖師第11話、原作小説第59章で、江晩吟が魏無羨の首を絞めあげながら「なぜなんだ?言ってみろ。なぜ奴らを救った? 藍忘機や金子軒が殺されてもー我らに何の関係が? 死なせておけばいいのになぜ出しゃばった? 返せ」と責める場面がある。
初めて観ていた時、蓮花塢の惨劇にショックを受ける中、江澄の激しさと共に、「あの玄武洞での場面、魏無羨の力があるなら当然助けるだろうに」と違和感を抱いたのを覚えている。日本のヒーローもの、また道徳授業で育った私には、魏無羨のとった行動が正当で、江澄の言っていることの方が「?」だったのだ。
とはいえ、物語はファンタジーでもあるので、そういう設定なのかなと思い、「陳情令の世界観」記事でも、この世界観をまとめて記した。
そして物語をより理解するために読んでいた道教の本で、中国や韓国などにおける「宗族」を知り(ベトナムではゾンホ)、これがこの時点で江澄の言っていたことの背景にあるのかなと思い、ここで紹介してみる。「宗族」をご存知な方は適当に読み飛ばしてください。いつもはネタバレには頓着せず書いているが、今はアニメ勢の方もおられると思うのですこしぼかしています。
出典元は、坂出祥伸「道教と東南アジア華人社会」(2013 東方書店)である。
1.宗族と「考」と一族繁栄
宗族とは、古代からある始祖を同じくする同姓の男系血縁共同体であり、分派して異郷に住んでも同族である。韓国では出身地と姓が同じものは結婚してはならない。中国では五代前の子孫ならば同姓同地出身でも結婚できる。
宗族制の最も大事なことは「考」である。
考の第一は、嫡子がいなければならない。
第二は身体を損なわず、五体完全で死ぬこと。
第三は立身出世して宗族一族を繁栄させて父母を顕彰することである。
日本のイメージの「親孝行」ではなく、「一族を繁栄させなければ考ではない」のである。
同姓であることは、姑蘇藍氏の内弟子(同姓)・外弟子(異姓)を思うと、その区分けが厳しくなされていることの意味に繋がってくる。
また、第二の身体を損ねない、という言葉からは、莫家で発見された身体の一部だけを思うと、それは考の観点からも許されない状態であったろうし、それぞれ藍忘機によって斬られた腕についても考えてしまう。
そして父方が同じという金光瑶たちのことを思うと、社会通念的に許されないということもよりみえてくる。
2.先祖を熱心に祀るのは
さて、この一族の繁栄であるが、祀られる先祖は「気」であるが、それは「魂気」として存在しているのである。先祖を祭るのは、先祖の気が厚く祈れば必ず感応し、自分達に現世利益をもたらしてくれるのだ、という信念がある。
祭祀を行う者が祀られている者の子孫であれば、同一の気であるから「感応」が起こる。子孫の利益や繁栄、庇護を与えてくれる。
宗族は一族の中から代々官僚を輩出して官界での発言権と影響力を維持し、それによって一族の繁栄の持続を確実なものにしようとするのである。
中華圏によく廟があり、熱心に拝んでいる人がいたり、ドラマでも祠堂がよく出てきていたのはそのような背景があるのか。
異姓不養と、他姓の養子を迎えることは禁じられていたそうだ。しかし三歳以下の棄児は認められた時代もあったようで、原作で阿愿が二歳だったのは、これを考慮したのだろうか?(祭祀継承者でなければ他姓養子でもよいなど、さまざまな説もある)
3.宗祠、宗譜、族産、族規について
宗祠、宗譜、族産の三つが相互扶助、一族団結の主要な紐帯である。(ここでは省略)
族規は、いわゆる家規・家訓であり、宗族内のさまざまな規約のことで、宗族に属する人びとへの訓戒や懲罰をともなう規則をも含んでいる。
家長の任は重く、子孫に悪者があれば祠堂で告白し、利害をもって諭し、これを責めて改悛しないときに、はじめて公府(役所)に告発する。犯罪はまず族長が宗族内で処理するのである。
中国の社会が個人でなくて宗族が単位となっている。王朝や国家も宗族内自治に干渉できないことがある。
このあたりの描写は、藍氏家規でもみられている。虞夫人が王霊嬌の干渉を拒んだのも、これによるものであろうか。
4.復讐も考である
宗族制は血縁内に固執する閉鎖的性格ともいえる。宗族はその内部でこそ相互扶助と親睦という、まことに麗しい道徳が守られるのであるが、その外、つまり他の宗族に対しては冷たく熾烈で執念深い競争原理を自らのうちに備えている。これも儒教論理なのである。
儒教では「世仇」とか「世讐」と言われるような世代を超えた復讐さえも是認されている。子孫の先祖に対する「考」として復讐が積極的に是認されている。
その範囲は「父母の讐はともに天を載かず、兄弟の讐は国を同じくせず、九族(九世代)の讐は郷党(村落)を同じくせず」である。
そして復讐を恐れ、族誅ー一族を皆殺しにする。復讐の一貫として、墓暴きも当然のこととして行われる。敵を永久に破滅させる最も確実な方法は、その祖先の墓を暴き、その中に入っている骨を粉砕することとある。骨が無ければ、祖先の恩恵の最も強力な源から切り離されてしまうのだ。フリードマン著より
不夜天で骨をばらまいたこと、観音廟からわざわざ母の遺骨を持って行こうとしたのも、このあたりの発想から来ていたのだろうか。
このような風俗背景を考えると、かつて見た韓国ドラマや中国ドラマにおいて、そういえばそんな描写があったなとも思えてくるのであった。
陳情令・魔道祖師と宗族制
そのような文化倫理観で育った江澄からすれば、自分の恐れていたことが現実となってしまい、その反動として魏無羨に怒りをぶつけてしまったのは、無理もないのかもしれない。案じて再三注意していたことを、相手がしでかすと、反動で怒りが倍増することはよくある。
またそれだけ魏無羨は信頼する師兄として、感情をぶつけやすい存在でもあったのかなと思う。江澄は金凌に対してなど、身内にほどキツい物言いをしているのである。
しかし言う本人は信頼ゆえと思っていても、言われた方はいつもなら聞き流せることも、状況次第ではそうできるとは限らない。江楓眠は蓮花塢でそのあたりを注意していたのだと思うが、性分を直すのは難しいものだろう。
陳情令や魔道祖師の登場人物のほとんどは、宗族ーお家を背負っている。
江澄からすれば、自分の代で雲夢江氏がついえる、復讐もできないのは最大の不考となる。また共に育ったとはいえ、姓の異なる魏無羨の立場はそれなりであるとも考えられる。
またそんな中で藍忘機が魏無羨に助けられたのは、かなり異例であったろう。
藍忘機がそれに応えて、宗族を越えて魏無羨を助けようとしたのは、第二公子という立場であっても、相当なプレッシャーの中だったのかなとも思われる。
そして温寧が取った行動も、かなり特異的なものだったのかもしれない。
暁星塵や包山散人は、これら宗族ー仙門世家とは一線を画したところにいたのか。
などと連想をひろげていた。
江晩吟のあの怒りをどう感じられただろうか?
外部サイト
★A1超特大ポスター付(雲夢双傑の花束)、緑川光さん(江澄)インタビュー