機内映画シリーズ、2025年夏はベトナム航空で乗り継いで、西欧へ行って来ました。ヨーロッパなのに何故にベトナム航空かと言いますと、直行便はお盆に絡んでいるからかお高くて……。
ホーチミン空港の出入国審査は調べてみると悪名高く、別料金でプライオリティレーンを使う方法もあるのだとか。出国時はもっと並んでいて、出国審査で45分、保安検査で15分位かかったので、余裕をもって空港入りしないと大変そう……。
ベトナム航空の機内映画
タイ映画『おばあちゃんと僕の約束』
タイ映画『おばあちゃんと僕の約束』、タイ語では『Lahn Mah/ラーン・マー(孫とおばあちゃん)』、英語では《How to Make Millions before Grandma Dies》。しかし一体誰がこんな英語題名を付けたんだ。ちなみに中国語では《姥姥的外孙》、外孫なのが中国的ですね。
日本ではうまい邦題を付けたなぁと思っていたら、観客参加型の試写会で投票が多かったタイトルみたい。
余命幾ばくもないおばあちゃんを、その孫が看取りつつ、祖母を取り巻く家族三世代も描かれ……という、わりと中国映画『来し方行く末』と似たような空気感をまとった映画。
監督はパット・ブーンニティパット。
いわゆる感動を押し付けてくる映画ではなく、おばあちゃんは病に冒されても、お粥売りは続けようとする、面倒見られるだけじゃない気骨ある女性で、孫も初めは楽に遺産をもらっちゃえ的なノリだし、祖母の家族も性悪はいないけど、どこか利己的で身近にいそうな家族の関係性。
それがタイ・バンコクの風景とあいまり、佳き映画でした。
エピソードもちゃんと回収されている!
初めは映画に入り込めなかったけれど、途中からは一気に観て、帰国便でももう一度観て台詞を確認してました。
自分によくしてくれた年長者がいた人は、その人との関係を映画に重ね合わせ、優しい記憶に包まれる物語。
ここからはネタバレありです。
映画感想と潮州の風習について
お墓参りの風景から始まり、孫である青年のエム(ビルキン)はゲームに興じていてお墓参りの手順もまるで分かっておらず、おばあちゃんのメンジュ(ウサ・セームカム)に注意ばかりされている。
潮州では祖先の墓前に「三牲五果(3種類の肉と5種類の果物)」を供え、墓碑には赤や緑字で彩色する。緑は故人の名前で、赤は姓や碑文なのだとか。
父方の従妹であるムイ(トンタワン・タンティウェーチャクン)は祖父の介護をしており、遺産をもらったみたいですね。
映画のタイの電車や街並みの風景に、バンコクを旅行した時を思い出す。
十数分近く経って、ようやくタイトルが映し出される。
おばあちゃんは牛肉は食べず、揚げ魚はご贔屓の屋台がある様子。とにかくだだくさな孫エムは、お茶を淹れるにもレンジでチンしたお湯を用いるし、祀ってある像も片手でひょいひょい動かし、信心深いおばあちゃんからは非難ごうごう。
遺産でリッチなホテル暮らしとなった従妹ムイは、高齢者が欲するものは「時間」とエムに指南している。このムイがちょっと謎めいた雰囲気がある上に、言い得た事を話すので、出てくるとなんだか引き締まるのよね。
家族からは口止めされるも、おばあちゃんに病気を告げる孫エム。いろんな心配のされ方ではあるけれど、家族に心配されているのはおばあちゃんは愛されてるよなぁとも思ったりする。
病院での順番取りに時間がかかるのは国が異なっても同じ中、タイでは脱いだ靴を並べて順番取りするのか。ちょっとオモシロい描写。
おばあちゃんと蚊帳の中、ふたり寝るのもいいね。
この家族は中華系タイ人なので、おばあちゃんや子供世代は潮州語が分かるけど、孫のエムになるとサッパリ、というものらしい。エムを悪く言っていた時の「チーチョイ」は潮州語ではどう書くんだろ? 中国語では「冒失鬼(粗忽者)」とあった。 従妹のムイは潮州語が話せるので、おばあちゃんに「阿嫲,食啊未?(ご飯食べた?)」と声をかけている。
孫エムはヤカンを使ってお湯を沸かせるようになり、慣れない手つきでおばあちゃんの身体を拭いてあげている。
長男キアン(サンヤー・クナーコン)は自分の家族と過ごしてばかりで、嫁は姑に寄り付かず、その幼い娘のレインボーはおばあちゃんに英語で挨拶したり、「大きくなったらお医者さんになっておばあちゃんの病気を治してあげる」と、どこかズレた対応なのよね。
次男スイ(ポンサトーン・ジョンウィラート)はと言うと、おばあちゃんの所へ来るのは金の無心の時だけで、おばあちゃんが孫エムに「(次男が)来なければ、元気でやっている証拠」と話すのが切ない……。
おばあちゃんの髪が抜け始め、孫エムはアプリでそれとなく励まし、でもそうっと抜けた髪の毛を服から取ってあげているのがたまらんのだ(涙)。
おばあちゃんは豚肉を所望し、家族とカード遊びをしたがっている。
おばあちゃんがエムに「旧正月後、残った料理を食べるのがキライ」と語るのも切ない……。
おばあちゃんは孫エムに働くように白いシャツをプレゼント。昔は出来も良かったらしいエム。
おばあちゃんが次男スイには取らせなかったザクロの実を、孫エムのために切って渡す場面は泣ける……。このザクロの木は孫エムが生まれた時に植えたもの。ザクロと言うと中国では一般的に子孫繁栄だが、潮州人にはとりわけ大切なもので、「无榴不成乡」という言葉もあるらしい。
おばあちゃんは家族が集まれるようなお墓資金にと、エムを連れて裕福な兄を訪ねる。実兄はおばあちゃんの両親の遺産をひとり貰ってリッチになっている様子だけど、これがまたケチな兄で「恨むならロクでもない夫を恨め」「頼るなら子孫に貰え」「別姓になった者にはビタ一文やらん」(英語字幕のニュアンスはそんなカンジだった)と、ドイヒーな事しか言わない。それに対しておばあちゃんが「そのロクでもない夫との結婚は、両親が決めた」と返しているのがこれまた切ない……。
映画は「遺産について」を描いているけれど、おばあちゃん自身、華僑の儒教世界で娘は何も貰えないばかりか、どうやらハズレ(?)な夫を贈られてしまっているという……。
結局、おばあちゃんの家は借金が嵩んでいる次男スイに贈られ。
老人ホームに入れられたおばあちゃんを、孫エムが迎えに行き「家に帰ろう」なんて泣いちゃうよ~。
おばあちゃんが牛肉断ちをしていたのは、長男の病気を治す願かけだったのか。
おばあちゃんが身動きもできない中、エムに人差し指を動かすのも泣ける。
エムがそんなおばあちゃんに歌ってあげていたのは、《唪金公》「唪金公,金公做老爹, 阿公阿婆来担靴……」という童瑶で、潮汕地区の人が子供を寝かせつける時のもの。きっとかつて幼いエムは、おばあちゃんに歌ってもらいながら眠ったんだね……。そんなの映画を観ている時に知っていたら泣くしかないわ……。
おばあちゃんは亡くなり、エムがあの白シャツを着ている!
そしてエムに銀行から通帳の連絡が来て、それはエムが幼い頃に、おばあちゃんが積立貯金してくれていた通帳。少年・エムはおばあちゃんに「新しい家を買ってあげる」と話していた!
エムは全額引き出し、そのお金はおばあちゃんの立派なお墓へと。
棺を叩いて、通り過ぎる街並みについて語りかけるエム。
姪レインボーに供花の撒き方を伝授するエム。袋を無造作にひっくり返し、風に任せて散らそうとするのは、冒頭場面と同じなのだ。
それは「不作法にすると化けて出てやる」と言っていたおばあちゃんの言葉があるから。
何も言わないけれど、エムの表情からその思いが伝わってくるのだ。
(完)
じんわりと良い映画でした。
孫エム役のビルキンは、何も語らない中、その映し出されている表情が雄弁で、心うたれます。
エムの母親である長女のシウ(サリンラット・トーマス)の母親を案じる様子も胸に迫ったし、不思議な雰囲気の従妹なムイも、小悪魔感があって魅力的でした。彼女はタイ版ドラマ『花より団子』のつくし役だったのね。
孫であるエムは介護でなくあくまで看取り、というのもポイントで、実質的な介護は長女であるシウが担うのだけれど、「息子は財産を相続し、娘は病を相続する」と言っているのが重いわ……。
おばあちゃんのメンジュ役のウサー・セームカムは、78歳にして俳優デビューというのも恐れ入る。
タイ映画だったけれど、描かれる家族は華僑といつもの中国ドラマな家族観だったので、違和感ない感じ。
ロケ地であるタラート・プルーは、バンコク市内からも近いみたいだし行ってみたいな。
外部リンク