笛の音と琴の調べ

ドラマ「陳情令」・「魔道祖師Q」・小説/アニメ「魔道祖師」の感想や考察を綴っているブログです。「君花海棠の紅にあらず」とアニメ「天官賜福」、漢詩で「山河令」もはじめました。

陳情笛に吹かれて,陳情令の意味由来/陳情令2周年記念によせて/ブログ開設1周年

陳情令中国放送2周年

6月27日は、陳情令の中国放送開始日であり、今年は2周年となる。当ブログはその前日の6月26日に開設しており1年が経つ。

日本ではこの日に陳情令オーケストラコンサート(9月20日@京都)、陳情令地上波放送1~3話(7月3日3時~テレビ朝日/関東ローカル)、全編日本語吹替版製作が発表された。となるといよいよ地上波放送も間近ということか。そして日本語吹替版Blu-rayとオケDVDとかするつもりなんでしょうか。勝手に言ってます。

中国では、温寧役の于斌がTikTokライブ配信していたらしい、藍先生もおられたとか。またドラマ八大名場面が復元される陳情令国風芸術展(8月10日@北京市五棵松M空間)なるものも開催されるとか。この状況でなければ北京に飛んでいたやも。ナゼ今年にするのだ。日本巡回されませんか?2021.6.27追記

そのような節目の折に、「陳情令」というタイトルについて、また陳情笛について記してみたい。

陳情とは?

まずは「陳情令」の「陳情 chén qíng」。これはドラマ「陳情令」21話で魏無羨が笛を名付けた場面でも字幕解説が入り「言葉にできない情を訴えること」とある。視聴していた時に、そういう意味だったのか!と印象的だったのを覚えている。

この陳情は『楚辞 九章 七 惜往日第四段』にもあり、

陳情以白行兮 得罪過之不意
情冤見之日明兮 如列宿之錯置

真情を陳べて、身の行いを明白にしようと願って、罪とがを得ようとは思いもかけなかった。
しかし真実と無実とが日々に明らかになるのは、空に並ぶ星座のようにはっきりとしている。

星川清孝「新書漢文大系23 楚辞」2004 明治書院

『楚辞』には、「射日」や「招魂」もあり関連は深そうではある。


また、李密が晋の武帝に上奏した『陳情表』というのがある。
なんでも祖母への孝心と皇帝への忠心との板挟みとなり記したもの。
諸葛亮の『出師表』韓愈の『祭十二郎文』と並び、「三絶文』と讃えられる名文だそうだ。

陳情令の令とは?

比較的意味がわかりやすい「陳情」ではあるが、はてコレは?となるのが「令 lìng」。
令の漢字自体は「ひざまずいて神や君主の“命令”を聞くことを表す」の会意文字とある。

漢和辞典によれば、①命令、②命ずる、③~させる、④酒席で行われる遊び、⑤昔の官名、⑥時節・季節、⑦すばらしい,よい、⑧詞や元曲の曲名、などが並んでいる。

陳情笛を思うと、命令や使役させるという意味もありそうだが、おおよそ⑧詞や元曲の曲名と考えてよいのだろうか。詞は唐宋代に盛んであった韻文の一体であり、元曲は戯曲である。

私にとっての陳情令とブログ

陳情令・魔道祖師はいくつかメディアミックスがあり、始めにこの世界に触れた所がルーツとなりやすいようだ。私にとってそれは陳情令である。

思えば陳情令を観ていた時は、朝起きた時からぐるぐると陳情令のことを考え続けるという、かなり通常と異なる日々を送っていた。そしてネットを見回すとそんな人は少なくないのである。

私はそれが高じてブログを始め、それはブログ開設後も続いたが、自分の思いの丈を記事にこめると、その部分に関しては鎮まってきており、最近はさすがに朝からはなくなっている。しかし陳情令や魔道祖師のことを考えない日はまだ来ていない

当初の予定では陳情令への思いを綴りまくり、今頃はおおよそは書き尽くしていたハズだった。……が、魔道祖師Qに心を奪われ、そこから漢詩の波打ち際で遊び、そうこうしている間にアニメ吹替版が始まり、日本語版小説が出て、今に至っている。
ブログすらもままならぬのは世の常、そして魔道祖師が今これほど盛り上がる事になろうとは~~。(嬉しい悲鳴)

そんなこんなで、ブログを続けて1年が経った今日この頃である。


さて、陳情に話を戻す。
ここからは物語を最後まで知っているという前提で話しているので、未読な方はご注意を。

 

陳情笛に吹かれて

陳情という名前は、陳情令では魏無羨が3ヶ月行方知れずとなった後に再び世に現れ、清河で仙門世家と合流して過ごしていた頃に付けられた。

金丹をなくし仙門とは一線を画し、仙師としていられなくなり、言うに言えず言葉にできない思いが感じられた。そこには藍忘機とも以前のように接することができない思いも含まれているかもしれない。

そうして時は流れ、現世編ではその陳情笛を江澄が持っていた、というのが、大きな意味を持つ気がしている。陳情令では、この陳情笛も剣・随便と同じように魏無羨の霊器らしく、他人が持つと拒否反応があり、持主の金丹を持つからこそ手にすることができていたのかとも思われるが、江澄には知る由もなかっただろう。

魏無羨がいなくなった年月、江澄もまた言いようのない思いに苦しんでいた。もちろん藍忘機も苦しんでいたが、藍忘機の場合は、言うに言えない、とはまた違った思い(陳情令では後悔)のような気がしている。聶懐桑などもまた異なった思いで苦悶していたが、それを晴らす行動に走っていた、という違いがあるように思える。

そして金丹の真実がわかり、陳情笛は持ち主である魏無羨に返された。ある意味、江澄の陳情(言葉にできない思いや情)が昇華された、という見方もできるかもしれない。

そもそも陳情笛の成り立ちは明確に描かれてはいないが、怨念も帯びており、怨念の発端というのは、やはり言葉にできない気持ちだったように思われる。その思いは時が癒してくれる場合もあるだろうし、それではおさまりきらない苦しい思いが高じて、恨みや憎しみがつのり、あるなんらかの変化を遂げると、怨念になるのではないだろうか。

そのような言うに言われぬ言葉にできない思い、というのは生きていれば程度の差はあれ誰しもあり、私の中にもある。理性ではわかっている。でも理性ではどうにもおさまりきらない思いは、ときどきうずくし、何かのきっかけで噴出することもある。そんな思いと、物語の登場人物たちの「陳情」が重なり合ったことも、この陳情令からやがて魔道祖師という沼にはまりこんだ一因でもあったのかと思わないでもない。どの陳情が心に響くかは、人それぞれ異なっており、その多様性が物語の魅力でもある

もう少し付け加えると、ドラマ陳情令では陳情笛を再び手にした魏無羨は、藍忘機と心ならずも別れ、再び巡り会う。その間の魏無羨は「言葉にできない情」でいたはずではなかろうか。その思いがどんなものであるかは、語るまでもないであろう。

そして二人の思いが通じ合ったのちは、原作番外編では二人は雲深不知処で姑蘇藍氏の人々と暮らしている。そこでは藍曦臣が閉関して過ごしていることが描かれている。ここで最も言うに言われぬ思いの人は藍曦臣であり、彼のすぐ傍に陳情笛はいるのである。

やがて藍曦臣が再び世に出た時は、忘羨の二人は陳情笛や忘機琴と共に雲深不知処を離れ、魏嬰が見た夢のように二人で暮らすのかもしれない。

 

陳情を心に宿す人のところに、陳情笛はやって来る。
どこか魔笛のような力をもつ、それが陳情令なのだろうか。

 

 

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