笛の音と琴の調べ

ドラマ「陳情令」・「魔道祖師Q」・小説/アニメ「魔道祖師」の感想や考察を綴っているブログです。「君花海棠の紅にあらず」とアニメ「天官賜福」、漢詩で「山河令」、「瓔珞」もはじめました。

江澄の性分から再び双傑を考えてみた③人物像,汪卓成 魏無羨の言葉に夢見て

第三弾は、雲夢江氏・江晩吟(jiāng wǎn yín)こと江澄(jiāng chéng)である。
忘羨人気が根強い中、双傑への思いに共感し江澄人気も高い。

江澄の容貌は、原作では「細い眉に切れ長な目をしていて、その容貌は刺々しい美しさを醸し出している。人を見る目は、稲津のように鋭い」とある。

世家公子ランキングは第5位魏無羨は4位。号は「三毒聖手」なのだが、なぜか呼ばれているのを見たことがなく、これらも設定の内なのか。
アニメ設定集には、11月5日生まれ、185cm。ちなみに魏無羨は10月31日。明確には書かれていないが、なんとなく同い年で数日違いという印象である。

1年前の今頃はアニメで蓮花塢の場面となり、ぐるぐると江澄の両親のことを考えて蹴躓いていたが、今年は江澄のことを考えていたせいなのか、思いがけず頭をぶつけてしまいかなり痛い思いをした。思えばアニメやQの江澄もよくタンコブを作っていたが、あんまり嬉しくない一致ではある。今回も長文です。
なお、話題になっていたアニメ完結編については、SNSで漏れ伝わってきてはいるものの、私は見ていないのでそちらには触れていません。

原作・江澄の印象

私は陳情令を見始めてから、原作小説の公開部分の所を読んでおり、復活後の魏無羨に対して江澄が敵意をむきだしにする様子に、原作江澄は深く憎んでいるんだろうな、と思っていた。

そんな折にたまたま中国サイトのコメント欄だったか、「魏無羨を捕まえて蓮花塢で拷問しようとしているんじゃない、捜し続けているんだ」というのを見かけ、「またまたまた~、江澄に甘いんじゃないの~?」などと思っていた。崖でも「ニィチースーバ」って言ってたし。すると陳情令30話の師姉の花嫁姿のところで、魏無羨との戦いがお芝居だったと語られ、「あ、ホントだった」とようやくわかった次第である。

それ程に、原作小説の江澄は苛烈だったのだ。私はどうもこういうタイプの言動をその人の本意だ、とすんなり思ってしまう面があるようだ。だから弱っている時に江澄に言われるとダメージが大きいかもしれない。

陳情令・江澄の俳優・声優

私の中での江澄像は、原作小説の江澄が強く印象づけられただけに、陳情令で汪卓成さんが演じる江澄はなんだかソフトで優しいなぁと思いながら見ていた。それが陳情令で描かれる江澄像によるものか、役者さんの持つ優しい感じによるものなのかは、他の人が演じるのを見ないとよくわからないではいる。

陳情令の江澄役は、汪卓成(ワン・ズオチェン)。1996年9月19日生まれ、183cm、B型、江西省九江市出身、中央戯劇学院ミュージカル科卒。
『双嬌伝/ 浮世双娇传』江绍役に出演。『重紫』では亡月役でこれは悪役なのかな。卓昊役な馬聞遠@曹蔚寧もいた。慕玉役の李岱昆@蝎王は白衣装になっていてわからなかったよ!
 #Mariusというタグも付いており、学生時代に演じた『レ・ミゼラブル』のマリウス役からの英語名らしい。マリウス、見たいなぁ。似合いそう~。

陳情令の声優は王凯である。
アニメの中国版は郭浩然、日本版は緑川光
ラジオドラマの中国版は彭尧、日本版は緑川光

▼反省していた動画とは違いますが、江澄について語っています。


www.youtube.com

江澄をあらわす性質への違和感

さてそんな中、陳情令を見ていて江澄の描写で最も気になったのは、17話で魏無羨が温情に言った「江澄は負けず嫌いで損得を重んじる」という台詞。それまで見ていた陳情令の江澄像と損得というイメージが結びつかず、この違和感は残り続けた。

なにしろ座学時代からこの方、江澄は魏無羨をどやしつつも案じるばかりで、憎まれ口はたたいていたが、損得のような功利的な印象がなかったからである。似たような台詞は原作第十九章にもある。

原作小説では、第十九章で温寧からは「負けず嫌いな人は、一生誰かと自分を比べ続けるんでしょう」と言われていた。「比べる」には同意するが、「負けず嫌い」ならもっと相手を打ち負かそうとするハズだ。江澄は弓比べや凧揚げで負けても割とあっさりしており、どちらかと言うと魏無羨の方が、負けず嫌いに思えなくもない。

確かに原作でも「最も耐え難いのは負けて後塵を拝すること」とあるのだが、その割には子供たちによる射日ごっこでは魏無羨役の子供にまで「江澄、お前はどこか俺に勝る部分はあるのか?」と言われる始末であった……。どんだけ流布しているんだ。

温寧の台詞は中国語では、【你這麼好強的一個人,一輩子都在和人比】。【好強】は要强,好胜:負けず嫌い、勝ち気、頑張り屋。であり、このように訳されるのは尤もである。ただひっかかる。

そしてぐるぐると江澄に当てはまる言葉を考え続け、番外編の「蓮蓬」で、”魏無羨の言葉に蓮を投げるのを止め自分一人で食べていた”、を読んでしばらくして思いついた。江澄は「恥を知る人」なのではないかと。魏無羨が「恥知らず」と名を馳せていたのと対比にもなる。

江澄は恥がとても強い人で、その恥にもとるような行動は絶対にしない。だから相手を引きずり下ろすという恥にそぐわない行動は思いつきもしないし、浅ましいとさえ思っている。そういう「」なところは虞夫人ゆずりにも思われる。魏無羨の弱点である犬についても、そういうところは守ってあげようとする。

「プライドが高い」とも酷似しているのだが、それはむしろ孔雀と称される金子軒に属するもので、江澄にはもっと実質的なものを感じる。ある意味、日本の武士道に通じる部分があるようにも思われ、大陸的な中国というより、どこか情(なさけ)のようなものさえ感じてくる。武士と異なるのはひとえに口の悪さだが。


メイキング映像をさほど見た訳ではないが、日本版公式があげたものなどを見ていると、汪卓成さんは真っ直ぐで優しい感じがしていた中、陳情令がデビュー作品だったという事もあるのか、しきりに自分の演技にダメ出しをして話されていたのが印象に残っている。たまたまそういう所をクローズアップされただけかもしれないが。そういう自分に厳しい部分は、どこか江澄と通じるところがあるのかな、と思ったりした。また江澄にしては少しウェットかな、とも思っていたが、あらためて江澄像を考えると、それも合っていたのかな。

さて、恥を知る人となると、陳情令では温情に告白してふられていたが、本来はああいうやり取りができないのが恥が強い人ならではでないか。陳情令・江澄はそういう点では大分異なっているようにも思う。
恥と感じる気持ちの方が勝って、好きな人に好きと言えない、まさにその親玉の虞夫人がその典型だったが、それもむべなるかな、とも思えるのだ。

江澄の優しさ

だからなのか原作者の設定(微博で回答2016.5.10)では、江澄の好みな相手に「天使フェイスに小悪魔ボディ、性格が良いのはもちろんのこと、なによりも崇拝している」超意訳という条件を挙げた。相手が自分のことを手放しで好意を寄せて初めて、自分も優しい感情の重い扉を開けることができるし、その相手には「自分がなにかしてあげることができる」と思える人を求めている。

幼い金凌を可愛がっていたのも、姉の遺児ということもあるが、金凌がどこかそんな存在でもあった。そして思えば、初対面の頃の魏嬰も、全面的に好意を寄せてくれ、自分は魏嬰が怖がる犬を果敢に追っ払う、そんな存在だったのだ。江澄は口も手も出す世話焼きなタイプなので、幼少期は良いが、思春期には存外、厄介な存在かもしれないとも思えてくる。そして江澄は礼儀的な応対ではそつなくこなす割に、魏無羨や金凌など、親しい相手になると結構辛辣な物言いになる面もある。

そう考えるとお見合いがうまくいかないのも無理はない。お見合いは短時間でどこか相手を見定めようとする所があり、そう接して来られると心は閉ざすし、慣れると気にならなくなる私的な場面での江澄の物言いも初対面では勘にさわるやもしれず、実にお見合い向きではなさそうだ。このあたりの人間観察眼の鋭さも作者ならではである。

とはいえ、出自さえ卑しくなければ、相手が江澄を気に入り押しまくればむげにもできず、文句を言いながら相手の面倒を見てしまいそうな感はある。魔道祖師Q27話の夢の中の人はどちらかというと江厭離めいていたが、どこか魏無羨似な相手だったら面白いな、とも思ったりもする。余談です。

 

弱い立場になれない優位性

誰かを好きという気持ちを表わしたり、恩をほどこされて甘んじることは、ある意味では弱い立場を受け容れる、ということでもある。強い立場にい続けるプレッシャーに耐えてきた人は、人に甘え弱音を吐いたり、情けをかけられることは、弱い立場へ落とされる気がしてできないし、そうされるとバカにするのかと怒ることすらある。虞夫人がそうであったし、江澄も同じである。
 計算高いと言えば、自分がマイナスでいる状態に耐えられないという意味ではそうであるし、負けず嫌いと言えばそうなのだが、このふたりに共通する「強い立場にい続けられる能力だけが、自分の存在価値である」という切羽詰まった感じを言い表す言葉はなんと言うのだろう?

原作の観音廟では、魏無羨から「彼のように極端と言えるほど人より優位に立とうと意地を張り人に勝つ事を喜ぶ者」と評されていた。それほど躍起になって勝とうとしていたようには見えなかったが、劣った立場を嫌う優位性意地というのは感じられる。魏無羨が江澄に金丹のことを言わなかったのも、そんな大きな恩に甘んじて生きることは江澄には耐えがたいことがわかっていたからだろう。

そういった劣った立場を受け容れがたいのは、江澄には身分への差別心があるからかもしれない。原作では綿綿を可愛いと言う魏無羨に対して、「召使いの娘なんじゃないか」と言う側面はあった。このあたりの価値観は虞夫人譲りとは思われる。
 また金光瑶とは、金凌を介して親交があっても良さそうなものだが、あまりそのような気配はない。二人とも金凌を可愛がっていた割には距離が感じられ、金光瑶への出自に関する思いがあったのかもしれない。

ふと思うのは、原作・虞夫人と金夫人は男の子が生まれたら、義兄弟の契りを~と約束していたのだが、江澄と金子軒を義兄弟にしようとは思わなかったのだろうか? 約束はあくまで長子同士のことなのか? まぁ、ふたりを義兄弟にしてしまうと話は余計にややこしくなるのだけれど、素朴な疑問である。

魏無羨の言葉の魔力

観音堂での江澄の怒りは、あれこれ言っているが、ここで本当に言いたいのは「双傑の夢を支えに宗主をしてきたんだ」という江澄の思いである。

江澄にとって魏無羨の双傑の言葉は、雲夢江氏宗主としての資質を自分でも危ぶむ中、「雲夢の歴代の家主が全員同じわけがない」「姑蘇の双璧が何だ。雲夢は双傑だぞ」は力強い後押しだったし、実際に魏無羨が横にいてくれればと夢ふくらむ思いだったのであろう。魏無羨の言葉は人を力づけ心の支えともなるが、その恩で温寧は一生を左右されたことも考えると、魏無羨の言葉の力の威力をも感じてしまう。
 そう考えると江氏祠堂前に揃っていたのが、藍忘機江澄温寧と、かつての魏無羨の言葉に強い影響を受けた三人であったとも気付く。

玄武洞で藍忘機が魏無羨に言っていた「一生 忘れぬ意味を? 意味もなく気を持たせるな」は、この事も言っていた。もちろん魏無羨としてはその言葉を違えたワケではない。ただ、その言葉に夢見てしまう人たちがいるということでもある。

江澄にとっての双傑

江澄にとって何より求めていることは、「雲夢江氏の立派な宗主になること、そして家訓のようにありたい」である。なので江澄の行動軸は全てそこにあり、勝ち負けや、魏無羨に求めるものも、そこに倣(なら)っている。魏無羨が活躍すると、自分が秀でたのではない切なさはあるが、雲夢江氏の師兄としての晴れがましさはある。

自分がなりたい自分になれるかどうか揺らぐ思いに、魏無羨の言葉は見事に後押ししてくれた。ひとりでは心細い自分がありたい姿も、魏無羨とふたりならば達成可能に思えた夢だった。

そして蓮花塢が焼け、若い身空で宗主とならねばならず、誰よりも頼りにしていた魏無羨はなぜか足並みを揃えてくれない。でも江澄にはその事情はわからないし、それを考える余裕などない。それどころか魏無羨は周囲から敵視されている温氏残党を守ろうとしている。ただでさえ雲夢江氏存続も危うい中、魏無羨が歩む道を共に進める余地などないのだ。そうして真情はともかく、道は違えられた

ふたりのすれ違いは、江澄のNGワードにもある。江澄にとってそれは雲夢江氏の宗主や家訓のように思われる。この家訓、他の世家にはあまり知られていないらしく、これを言うのはもっぱら魏無羨か江楓眠であった。雲夢江氏にだけ通じる合い言葉のようなものなのかと思うとそれはそれでワクワクするのではあるが。

そして江澄にこの家訓を投げかけられる時はだいたい、「家訓に合ってないよね」とたしなめられることが多かったのだろう、この家訓は江澄には叱責とセットになっていたように思われる。

一方、魏無羨にとっては雲夢江氏は命でもあり、NGワード雲夢江氏を毀損することだ。そしてその家訓は命の指針と言っても良い程かけがえのないものなのだ。同じ雲夢江氏の一員でもある江澄とも結束を高める合い言葉のような思いで何かと使っている。

しかし、江澄にとって「双傑」は結束を強めるが、家訓は疎外の言葉である。特に自分よりも家訓を実践している魏無羨に言われると何よりもツラくなる。けれど魏無羨は雲夢江氏が好きすぎるし、家訓は指針ではあっても理念にすぎないとある意味割り切れているので、その事には気づけない。


江澄が双傑に執着
したのも、家訓のような魏無羨が傍にいてくれれば、自分は宗主で魏無羨は家訓と、自分のあらねばならない姿になれると思っていたのかもしれない。
それは父や母の思いを引き継ぎたかったのだろうし、また幸せに満ちていた家族が揃っていたありし日の象徴であったのかもしれない。
けれどかつての雲夢江氏の惨劇を魏無羨に関連づけることは、復活した魏無羨には「雲夢江氏に居てはならない」と聞こえツラいことに、江澄もまた魏無羨が傍にいるのが当たり前すぎて、気づけない。

その魏無羨は江澄が息災で、雲夢江氏の宗主でいてくれれば、自分の役目は果たしたと思っている。むしろ夷陵老祖として悪評高い自分が、雲夢江氏に関わることで悪影響を及ぼすのは避けたいくらいである。そして何よりも大切な雲夢江氏のかつての日は、自分が喪ったものと同様にもう戻らないと残酷なまでに分かってる。それは幼い頃に両親を失い、身を持って知っていることも大きいだろう。

お互い、大切なものが雲夢江氏であるがゆえに、求めるものは金丹の一件を通してくい違ってきているのだ。

江澄は、かつての雲夢江氏を、共に取り戻そうとしていた。
魏嬰は、かつての雲夢江氏はもう戻らず、遠くから見守っているだけでいい。
と。

あの一件がなければ、魏無羨は当たり前のように雲夢江氏に居続けただろう。とはいえ、藍忘機とはいずれ結ばれるので、いつかは出て行くのだろうが。
江澄が雲夢江氏の宗主を果たすことだけが目標であれば、それは実現しているのでもっと楽になれたとは思うが、言ってもせんないことであろう。

陳情令47話、雨降る観音廟で江澄が登場する場面は実に絵になった。傘を持つ立ち姿がなかったのが残念~。魏無羨が去って観音廟でひとり佇み、金凌と言葉を交わす場面も印象に残っている。

江澄が誰にも言っていない、見つかりそうになった魏無羨をかばい温氏に捕まったこと。いわゆる「恩」ではあるが、私は江澄は魏無羨には言わないと思っている。金光瑶は最後の最後に、藍曦臣に姑蘇藍氏のことで言っていた、その対比にもなっている。雲夢江氏としての恩は言っていたが、自らが売った恩は口にしない、それも義侠の美学なのである。

双傑の未来

魏無羨が復活して帰ってきた時に、江澄が憎まれ口をたたかなければどうなったかとも考えてはみるが、それには江澄が奪舎されたのかと思うような行動に出ないと難しそうではある。魏無羨が雲夢江氏に戻ることが当たり前のようにサラリと遇していれば、元々雲夢江氏を大切にしていた魏無羨のことである、割とすんなり応じたような気はする。
 そして魏無羨は私利私欲には断固として応じないが、無心の行動にはヨワイところがある。藍忘機のように黙って傍にい続けるか、あるいはかつての聶懐桑のようにてらいなく頼めば可能とは思うが、それはもはや江澄ではない。それに江澄が求めていたのがかつての雲夢江氏であるならば、変わらない自分と魏無羨との関係という事もあったように思われる。

物語が異なるが、他の中華ドラマで、こよなく大切にしていた妹が自分の主義主張に目覚めて出奔してしまい、うちひしがれる兄に、知己が「嫁にやったと思えばいい」と声をかけて慰める場面がある。

江澄も、魏無羨が藍忘機に嫁いだと思って、時々気ままに会うくらいの距離感がちょうど良いのかなとも思ってみたりする。

口は悪いが、表に出せない情の深さが魅力、そんな江澄は今日も剣を磨いていそうである。

 

 

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第48話 暴かれた呪い

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