今年の中国の重陽節(旧暦9月9日)は2021年10月14日。この重陽節を山河令公式が紹介していたので、ちなんだ漢詩名を挙げてみる。
杜甫『登高』。高校で習った記憶が残っている。そもそも【登高】は重陽の節句に一族揃って小高い山に登って菊を浮かべた酒を飲み、無病息災を祈る行事である。
しかし杜甫も王維『九月九日憶山東兄弟』も、ひとり異郷で望郷の念をつのらせる詩などしんみりした詩が並ぶ。
そんな中、杜牧『九日齊山登高』は、菊の花(一般的には茱萸/しゅゆ)をかざし大いに飲んで節句を楽しもうと詠っている。
19話 陰陽の逆転
1.温客行が葉白衣と組合い言い放つ
期待外れもいいとこだ
你憧不憧何么叫乗興而来 尽興而帰
『世說新語 23 任誕47』
王曰:“吾本乘兴而行,兴尽而返,何必见戴?”
私はもともと興に乗って出かけ、興が尽きるとともに帰ってきたのだ。なにも戴に会わねばならぬこともあるまい。
目加田誠「世説新語」2003 明治書院
王微之が雪の降った夜、酒を飲み「招隠詩」を詠じている内に戴安道を思い出し、小舟に乗って出かけ一晩かかって門まで来たが引き返した、というよく知られたエピソードの一つ。戴安道は風流人でもあった。日本の『唐物語』にも収録されている。
2.趙敬が位牌に向かって言う
あの頃貴様は雲で 私は泥だった
当年你為雲 我為泥
『後漢書 巻83 逸民列伝 第七十三 矯慎』
仲彦 足下,勤处隐约,虽乘云行泥,栖宿不同,每有西风,何尝不叹!
時下 仲彦殿は勤めて隠遁としたところにおられ、雲に乗っているが、一方は泥の中を行き、住むところは異なる、西風が吹く度に、どうして溜息をつかずにおられるものか。
四字熟語「雲泥の差」「雲泥万里」。汝南(河南省)で公職にあった呉蒼が、扶風茂陵(陝西省)隠士の矯慎へ送った手紙である。この雲と泥、どちらを雲とみなすか解釈がわかれているが、【隐约】が「ぼんやりした」という意味でもあり、雲が矯慎(仲彦)のように思える。矯慎からの返信はなく、自分がいつ死ぬか予言して実際にそうなったとか。その後に敦煌で矯慎を見かけた人がいたそうな。
3.龍雀が酒を飲んで言う
山中に日月なし
山中無日月
太上隐者『答人』
偶来松树下 高枕石头眠
山中无历日 寒尽不知年ふらりと松の木の下へやって来て、石の上でぐっすりと眠った。
山の生活は暦がなく、温かくなっても何年なのかわからない。
4.龍雀が言う
黄河の水 天上より来たり 奔流して海に到りまた回らざるを
黄河之水天上来 奔流到海不復回
5.若き沈慎が一同の前で言う
君見ずや 高堂の明鏡 白髪を悲しみ 朝に青糸のごとくも 暮に雪となるを
君不見 高堂明鏡悲白髪 朝如青絲暮成雪
李白『将進酒』
君不见,黄河之水天上来 奔流到海不复回。
君不见,高堂明镜悲白发,朝如青丝暮成雪。
人生得意须尽欢,莫使金樽空对月。(略)
9話-7で解説。屋根の上でふたりが酒を飲んでいた場面で吟じていた詩(3行目)の冒頭部分である。
この歌は一般的には酒賛歌の詩とされ、出会った周子舒と温客行→今の龍雀→若き親師匠世代の酒を飲む場面で用いられている。そしてこの巡り合わせが繋がったことからすると、張成嶺がこれら三派を引き継いでいく未来を詠っているのかなとも思ってみたりする。このあたりの解釈は、この回で印象深かったことをモチーフにしたくなるので、いろいろな感想がありそうだ。
6.高崇が趙敬を叱責している
お前は何をさせても失敗ばかり
你真是成事不足敗事有余
周而复『上海的早晨 第三部三十三』
梅厂长这个人的能力成事不足,败事有余。
小説『上海の朝』。
うまく成し遂げる能力がないばかりか、ぶち壊しにすること。
书生归来后,问起两个儿子的学习和练字情况,妻子一本正经地如实相告:“背书如流水,字也写了,只是成事不足,败事有余,二人都是二百五。”
昔の笑い話もある。
とある書生が名を挙げようと科挙を志すも受からなかった。そして子どもふたりに、長男は「成事」、次男は「敗事」と名付けた。
ある時に書生は、長男に300字、次男に200字書き取りするよう妻に言いつけ外出した。そして帰ってきて出来具合を聞くと、妻は「成事は足らず、敗事は余り、双方共に250字【二百五】」と答えたとか。【二百五】には間抜けという意味もあるらしい。高崇は大哥で、趙敬が二義兄なのが意味深に思えてくる物語。
7.周子舒が龍雀に言う
羊角哀と左伯桃の深い絆に勝るとも劣りません
便是比先賢左羊之交
成語【羊左の交】。戦国時代燕国の知己であった羊角哀と左伯桃。楚に仕官するための道中で、大雪にみまわれ食糧も残り少ない。左伯桃は羊角哀の才学には及ばず、共に死ぬことはないと服や食糧を羊角哀に与え、自らは木の洞で凍死した。羊角哀は楚王に重用された。のちに羊角哀は左伯桃を手厚く葬り、「ふたりが共に死ぬのを案じて、友は逝った。ふたりの誉れを知る人はいない。どうして生きながらえようか」と自刃した。
甄家(羊角哀)のために、龍閣淵が武庫を開けられると噂を流した龍雀。龍雀が左伯桃だから、その子である温客行が最期を見取るのか。
19話は隠士にまつわる漢詩が多かった。葉白衣の実体がわかる回だからかな。
19話感想
謎がいろいろと一気に解かれていく回。50話くらいあったら、この話は劇中で描かれていたのかしら。語りの回想なのが実にもったいない。
龍雀の妻・羽追は出産後に亡くなっていた。温客行の予想も当たっていたのね。龍孝は弟子たちも手にかけたのか。
岳鳳児は神医谷の三傑の1人で容炫の妻。温客行は、容炫が龍雀を欺き武庫を作らせたかと尋ねるが、龍雀に否定されている。そもそも誰が温客行に吹き込んだんだろ?
武庫は皆で建造、瑠璃甲は錠で、容炫の鍵がないと開かない。葉白衣が珍しく問い詰めていると思っていたら、容炫は葉白衣の弟子だった! 弟子はいたけど悪名高かったのか……。
祠堂には封山剣、神医谷の二傑、五湖盟の掌門の位牌があるようだ。武林を怒らせたくなかったと言うから望むものが違ったか。趙敬の目指すものがよくわかっていなかったが、皆に見下されている思いが強く、いつか見ていろ、自分が五湖盟の隆盛を目指すぜ、という事でいいのかな?
若き五湖盟の人々が出てきた時は、衣の色で見分けるのが精一杯。この頃から態度がでかく失礼な沈慎(水色)。見直しかけたけれど、やっぱりこういうキャラなのか。
甄如玉(薄茶色)と谷妙妙が登場。秦懐章(白色)、陸太冲(薄紫色)、張玉森(黒模様)、龍雀(薄緑色)、趙敬(濃灰色)、高崇(黒色)。
本を読んでいるのが若き趙敬。顔立ちが似ているなぁ。華山派の奥義書を盗むのを目撃されたようだ。それでせっかく貧乏人から這い上がったこの座を失いたくなかったということかな。五湖盟の皆は、六合心法を欲しがっているよう。高崇の剣には三屍毒が仕込まれていた。
容炫が正気を失ったのは、妻・岳鳳児が禁術で生きた心臓を取り替えたから。そして狂い妻も容炫に刺される。哀しすぎる……。
容炫は鍵を長明山の師匠(葉白衣)に届けて詫びたいと願っていた。妻から甄夫妻に託される。甄如玉は容炫討伐を止めようと青崖山へ。容炫もまた甄如玉を巻添いにしたくはなかった。その後もいきりたった人たちは甄家族をも襲う。ここでも神医谷の真相が歪められて伝わっていた。
葉白衣曰わく、六合心法が良いものなら教えていたと言う。龍雀も武庫を開けて龍孝を治せるならそうしていた、ということね。というか、本当に治せるなら妻の羽追が亡くなる時に試すよな。
五湖盟→容炫→葉白衣、龍孝→龍雀、周子舒→四季山荘、そして温客行、それぞれがそれぞれの思いで手に入れようとしたこととその虚しさが、重なって入れ子のようになっているのか。
そして葉白衣の域はもはや仙人クラスということなのか。でも武庫には天残地欠な「六合心法」の奥義書も入っているから放ってもおけない。
終始、激しく動揺する温客行を案じる周子舒が優しい。温客行のことを「親友」とも言っている。龍雀が張成嶺を見て嬉しそうにしていたのもいいな。
この回は35分位とえらく短かった。本国でカットされたのかな?ハテナ?
20話 天意
1.顧湘と曹蔚寧が話す場面の柱の文字
皆知美之為美
仁失而後義義失而後礼
曲則全枉則直窪則盈 敝則新少則得多則惑
『老子 第二章』
天下皆知美之为美,斯恶已。
天下すべての人がみな、美を美として認めること、そこから悪(みにく)さ(の観念)が出てくる。
『老子 第三十八章』
故失道而后德,失德而后仁,失仁而后义,失义而后礼
それゆえに道が失われたのちに徳がそこにあり、徳が失われたのちに仁愛がそこにくる。仁愛が失われたのちに道義がきて、道義が失われたのちに礼儀がくる。
後半になるにつれて、動機や見返りを求めてしまい、見せかけとなっていくとある。
『老子 第二十二章』
曲则全,枉则直,洼则盈,敝则新,少则得,多则惑
曲なれば即ち全し、枉がれば即ち直し、窪めば即ち盈ち、敝るれば即ち新たなり。少なければ即ち得て、多なれば即ち惑う。
ねじ曲げられるものが完全に残る。まっすぐであるためには、身をかがめよ。いっぱいになるには、くぼみがあるべきだ。(衣服の)ぼろぼろになったのが、新しくなるのだ。少ししかもたない人は、もっと多く得るだろうし、たくさんもつ人は思いなやむばかりだ。
小川環樹「老子」2005 中央公論社
これらの意味は、顧湘と曹蔚寧のことなのか、柳千巧や薄情簿主の今後を示唆する言葉なのか、この先の展開を待つばかり。
2.五湖盟で趙敬が言う
まさに虎が翼を得るがごとし
那可真的是如虎添翼呀
蜀 諸葛亮『心書 兵機』
将能执兵之权,操兵之势,而临群下,臂如猛虎加之羽翼,而翱翔四海。
兵権をつかさどり、兵の勢力を握り、衆人にのぞめば、猛虎に翼が生えたようなもので、天下を旋回することができる。
成語。趙敬がなそうとしていることですね。
3.少年・周子舒が師匠に言う
私が師匠より尊いわけはありません
天地為大 親師為尊
王西彦『春寒』
一日为师,终身为父,天地为大,亲师为尊。
4.周子舒が温客行に名前の由来を言う
衍の字を分解すると客行だ
衍一分为二 就是客行吗
唐 王湾『次北固山下』
客路青山外 行舟绿水前
潮平两岸阔 风正一帆悬
海日生残夜 江春入旧年
乡书何处达 归雁洛阳边
「行」と「氵さんずい=流れる水」と分解されるとか?【客水】は洪水期ではないのに水位が上がることを言うそうだ。
WOWOW公式が載せてくれた漢詩を記しておく。この冒頭の【客】と【行】のようだが、この漢字【衍】からこの漢詩へどうやって行き着くのかがよくわからずにいる……。
5.幼い温客行が周子舒に言う
蔓衍の衍。何にも縛られないという意味。
王逸『楚辞 九思』
蔓衍,广延也
つるが広がる。
6.『天涯客』の歌詞:温客行が川を見つめながら溜息をつく、「もう遅い」と言う前
落ち葉は降りしきり 河の流れは絶えず
無辺落木蕭蕭下 不尽長江滾滾来
杜甫『登高』
风急天高猿啸哀 渚清沙白鸟飞回
无边落木萧萧下 不尽长江滚滚来
万里悲秋常作客 百年多病独登台
艰难苦恨繁霜鬓 潦倒新停浊酒杯風は激しく、空は高く、猿の声は悲しい。渚は清く、砂は白く、鳥は飛びめぐる。
限りない落ち葉はさわさわと舞い散り、尽きることのない長江は蕩々と流れてくる。
故郷を万里離れ、秋を悲しむ永遠の旅人。生涯、病いと道連れに、独り台に登る。
苦難が続いて真っ白になった頭を嘆き、茫然自失、濁り酒の杯をふと手元に置いた。
川合康三「中国名詩選 中」2015 岩波書店
日本での放送時の重陽節に、この場面が来るのも巡り合わせだなぁ。そしてふたりの旅人が巡り会ってもいるんだな。
20話感想
え?もうエンディング?となった20話。
冒頭から龍雀に龍淵閣の書を託され、龍雀の弟子となった張成嶺。鏡湖派、四季山荘6代目の弟子、龍淵閣と三派を受け継ぐってすごいな。龍雀の前に、かつて卓を囲んでいた者の縁者が揃っているというのも熱い。
龍雀が「魂となってもこんな姿では、黄泉で容兄上たちに会わせる顔がない。恥ずかしくて声もかけられない」という場面ではホロリ。名演だなぁ。そして周子舒が温客行を抱きしめ「師弟」と呼びかける。盛りあがりが話の冒頭で来るという贅沢な展開だ。
曹蔚寧は清風剣派の危機を察して、顧湘に一緒に来るよう誘っている。顧湘も瑠璃甲が絡んでいると知り、付いていくことになる。曹蔚寧はいつも爽やかさん。
柳千巧と薄情簿主と于丘烽、柳千巧は赤い衣装になっている。同じことをした于丘烽が趙敬の事をあげつらうのも、エライ目に遭わされた人の前でどの口が~だわね。「義兄弟を裏切れば罪、女が男を裏切っても手ひどい罰を受ける、男が女を裏切ったとて若い頃の武勇伝になる」はその通りだ。
柳千巧と顧湘の場面も、姐さんが妹分に心得を諭しているみたいで好きだなぁ。「目の前に想い人がいるほど尊い時はない」というのは沁むわ。この建物が陳情令の静室か。柳千巧のようないい女ほど、ああいう男にひっかかりそうというのがなんともはや……。でも曹蔚寧のような善い人はやはし顧湘が似合う気がするので、顧湘のようなタイプの方が男運があるということかしらん。
五湖盟で、沙幇主(モヒカン)が早速ゴマをすっている。皆の前では趙敬は金色外衣なのね。趙敬は小怜と成嶺を見つけるよう言葉巧みに誘導している。
天狼寨と驚雲堂がくだったのも、蝎王が手をまわしていたか。あんなに妖艶だった蝎王も、趙敬の前だと黒衣装でも毒気のない顔をしている。日陰の身を嘆くが、趙敬は真摯な顔をして言い含め、次は仙霞派・白啓峰という指令をくだす。
龍淵閣では、龍孝は口を割らずに自ら薬人の元へ落ちていく。
張成嶺が温客行と周子舒の手を取っている。そして明かされる温客行が周子舒の「師弟」という事実。だから流雲九宮歩も扮装術のことも知っていたのか。
幼いふたりが初めて会った時は、仔犬を抱えている周子舒。犬は「一鍋」という名前らしい。この幼年・温客行、『家族の名において』の賀子秋の子役な萧李臻瑱じゃないか、子秋~~~。下がり眉がカワイイのだ。あの時も張新成に似てると思ったけど、龚俊とも眉が似ているように思えてくるな。むしろ少年・周子舒をもう少し似せてほしいカモ。幼いふたりは竹とんぼなどで無邪気に遊んでいる。
ふたりが再会したのも天意と言い、周子舒は温客行を再び抱きしめる。流れる『天涯客』。温客行はひとり駆け出し、川辺で「もう遅い、遅すぎる」とひとりつぶやく。
ハグ場面で、温客行の抱き返しが海外版らしい。
WOWOW放送:2021年10月14日(木)深夜
▼将進酒
外部サイト